9話 『空閑遊真』
和希と望実は人通りのない路地裏で、クロヴィの3人の戦士に囲まれていた。
クロヴィの隊長であるフィロスが、和希と望実に対して声をかける。
「なぁ、あんたら2人のこと、上からは問答無用で始末しろって言われている。しかし、あんたたちほど優秀な男もそういない」
フィロスは兄弟に、真摯に語り掛ける。寝食を共にした、かつての部下に。
「だから、聞いておきたい。あんたら2人は、本国に戻るつもりがあるのか。もしあるなら、おれが上に話してやる。おれはここ2年で成果を上げて、相当の地位までのし上がった。命を保障することくらいはできるし、罰を軽くすることもできるかもしれない。どうだ?」
和希と望実は目を合わせて、当然と言わんばかりに提案を拒否した。
「お断りします。僕たちはもう国には戻りません。こちらの世界で、平和に暮らしていくんだ!」
「…そうか。なら、本気でお前たちを斬らなければならない。残念だよ」
フィロスが再び剣を構えなおし、一気に間合いを詰め、2人に対して斬りかかる。
受け太刀をする和希の動きを制限するように、サポートの達人・カトテラスの弾丸が散りばめられる。
それを見た望実が弾丸を放ち、カトテラスを牽制すると、その隙を狙ってピレティスが鋭く望実の急所に弾丸を放った。
「うっ、ぐ…!」
望実はなんとかシールドで防ぐが、ひるんだその隙にカトテラスが望実の背後に回り込む。
正面にはピレティス。背後にはカトテラス。
それぞれが銃を構えるなか、望実は1枚のシールドしか持っていない。
2方向からの銃撃を、1枚のシールドで同時に防ぐのは不可能。望実の機動力では、その場から移動しての回避も不可能。
万事休すかと思われたその時、望実の背後に1枚のシールドが展開された。
「望実!耐えるんだ!」
「兄さん!」
それは、少し離れた場所でフィロスと剣で斬り合っている、和希の遠隔シールドだった。
ピレティスとカトテラスの弾丸が望実に降り注ぐが、何発か被弾したものの、2枚のシールドで急所は守ることができた。
「くそ、和希さんか…!」
「相変わらず、息ピッタリですね…!」
勝負を決めるつもりで放った弾幕を防がれ、ピレティスは舌打ちをし、カトテラスは純粋に感心する。
攻撃の嵐が止んだそのタイミングで、和希が望実に指示を飛ばす。
「望実、囲まれたままでは不利だ。煙幕を!」
「はい!」
望実の持っている爆弾により煙幕を出し、和希と望実はクロヴィの包囲網から抜け出した。
和希と望実はもう既にかなりのダメージを負っていたが、2人の瞳にはまだ光が宿っている。
圧倒的な実力差があっても、戦い抜いて生き残って見せる。
そんな決意が、輝いていた。
敵の包囲から抜け出した和希と望実は、連携の精度で数の不利を相殺する。
しかし、相手も精鋭。互いに決定打がなく、戦闘は一時膠着状態に陥った。
「和希と望実…、敵に回すと本当に嫌な2人だね」
フィロスがぼやくと、部下であるピレティスとカトテラスも同意する。
和希と望実がクロヴィから逃げ出して、約2年が経つ。
その間本国では、任務により他国から持ち帰った情報をもとにトリガー開発が行われており、実際にフィロス達のトリガーは和希と望実の持つトリガーよりも何段階か改良されている。
また、和希や望実がトリガーを使わずに一般市民として過ごしている間も、彼らは危険な任務と戦闘訓練を行っており、2年間で大幅に戦闘技術も向上していた。
つまり、彼らは数の利があるだけではなく、トリガーの性能や地力の高さでも、圧倒的に和希と望実を上回っているのだ。
にもかかわらず、戦闘は膠着。和希と望実が予想以上に粘っている。
その理由は2つある。
1つは、和希と望実の連携の精度にある。
2人は血のつながった兄弟であり、生まれてから10年以上、2人だけで寄り添って暮らしてきた。そのため、言葉がなくとも相手の求めていることが分かり、互いの弱点を完全にフォローすることができるため、隙が無い。
フィロス達の部隊も連携の訓練は行っているが、兄弟という距離の近さには敵わない。
2つ目は、和希と望実の持つ特異な能力だ。
和希は類稀なる観察眼と思考力で、望実はそのサイドエフェクト『エンパス』で、その場にいる全員の考えや動きを先読みしながら戦っている。
彼らには、相手が心の内で何を考えているかということや、次どのように動くかということ、また、彼らが立ててきた作戦まで、全てがお見通しということなのだろう。
そのため、普通であれば決まっていたであろう攻撃も回避でき、普通の相手ならば気づかないような僅かな隙や連携の乱れも、兄弟は容易に突くことができる。
だからこそ、数も地力も完全に上回っているはずのフィロス達の部隊が、2人を圧倒することができないでいるのだ。
「くそ、想定より時間がかかっている。望実がさっき使った爆弾で、大きな音も立ててしまった。これ以上時間をかければ、ボーダーや民間人に見つかるぞ」
「どうしますか、隊長?」
「隊長、これは切り札を使うしかないのでは…?」
「…そうだな」
和希はその優れた観察眼で、いちはやくその変化に気づく。
フィロスの持つ剣の色が変わり、揺らめいているように見える。
望実も変化に気づき、たじろぐ。
「なに、あれは…?」
「望実、様子が変わった。フィロスさんに近づくな」
フィロスは色の変わった剣を持ち、和希に斬りかかる。
和希は後退しながら剣で受け止め、望実は弾丸で和希をフォローする。
その瞬間、剣が伸びて和希の背後から急所を狙った。
「なっ!」
和希はとっさに身をよじるが、剣はまるで意思を持っているかのように、和希のトリオン供給器官を狙って変形し、ついにそこに突き刺さる。
「2年前と変わらず、腕は立つ。だが…」
和希のトリオン体にヒビが入り、換装が解けてしまう。
「黒トリガーには勝てはしない」
(黒トリガー…!?そんな、なんでフィロスさんが…!?)
換装が解けた和希はその場から逃げようとするが、フィロスは躊躇なく、和希の肩口に剣を突き刺した。
「がっ!ああ!」
右肩と腕に深い傷を負った和希は、激痛でその場に膝をつく。
「兄さん!」
「動くな、望実!和希を斬られたくなければ、換装を解きな」
和希に駆け寄ろうとしていた望実は、和希の首に剣を当てながら発せられたその言葉に、一瞬硬直してしまった。
「っ。望実、お前だけでも逃げるんだ!」
和希が声を上げるも、一瞬の隙を逃さずに、ピレティスとカトテラスが望実の急所を撃ち抜く。
望実の換装も解け、動けずに立ち尽くす望実のこめかみを、ピレティスが思い切り蹴り飛ばす。
「望実!」
脳が揺れて体の自由が利かなくなった望実は、そのまま横になって倒れた。
「さあ、これでチェックメイトだ」
和希と望実が、自らの死を覚悟した、その時。
「『射』印 四重」
聞き覚えのある声が響き、フィロスとピレティスに大量の弾丸が撃ち込まれる。
弾丸を回避すべく、和希と望実の元から離れた隙に、突如現れた白い少年が和希と望実を守るように立つ。
「よう、和希、望実。4年ぶりだね」
「お前、遊真…!?」
現れたのは、和希と望実のかつての友人。
真っ黒な戦闘服に身を包む空閑遊真と、その相棒であるレプリカだった。
「レプリカ。2人を頼む」
「了解した」
和希は傷口を抑えながらよろよろと立ち上がり、倒れたままの望実を守るように抱き起こす。
「遊真、レプリカ!そいつらのうち1人は黒トリガーだ。お前たちでも勝ち目は薄いと考えてくれ!」
「ふむふむ。確かに強そうだな。じゃあ、おれはどうすればいい?」
遊真は和希に尋ねる。
遊真も知っている。和希の卓越した作戦立案能力を。
たとえ実力に差があろうと、和希の作戦通りに行えば、負けることはない。
全幅の信頼を寄せられた和希は、自信を持って答える。
「ほんの少し、あと少しだけ、時間を稼ぐだけでいい。そろそろ、来るはずだ」
その時、緑色に光る斬撃が地面を伝わり、フィロスの腕を斬り飛ばした。
「!?」
さらに次々と襲い来る斬撃に、彼らがその方向を見遣ると、そこには2人のボーダー隊員が立っていた。
そこにいたのは、迅悠一と、木崎レイジ。
「悪いね、2人とも。助けに来るのが遅くなった」
迅が風刃でフィロスら3人に斬りかかり、レイジは突撃銃で大量の弾丸を彼らに向けて放つ。
その密度の高い連携を、彼らは後退して回避する。
「ボーダーか…、長く時間をかけすぎたな。撤退するぞ」
クロヴィの偵察部隊の、フィロス、ピレティス、カトテラスは、闇に溶けて走り去っていく。
「去っていく…が、追わなくていいんだな、迅」
「うん。2人の手当が先だ。玉狛の医務室に連れて行こう」
そう言うと迅は和希と望実を見て、顔を歪める。
「遅くなって、本当にごめんね」
脳を揺らされて、未だ動くことができない望実を守るように、血まみれになった和希が抱きしめていた。
そして、その傍らにいる遊真に目を移す。
「お前も、向こうの世界から来たのか?」
「そうだよ。おれはこの2人の友達。空閑遊真だ」
迅は遊真の未来を視て、敵ではないと判断した。
「この2人を守ってくれたんだな。ありがとう。さて、君もボーダー玉狛支部に来なよ。はやく2人の治療をしよう」
迅は望実を、レイジは和希を背負って、遊真と共に玉狛支部へ向かう。
深い夜のなか、街灯だけが彼らを照らしていた。
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