8話 『織本望実②』
夕方になり、夕焼けが美しく輝き始めた頃。
和希と望実は、玉狛支部から帰宅しようとしていた。
「じゃあ、また遊びに来なよ。ウチはいつでも歓迎だから」
「はい。こんなに良くしてもらったのに、入隊は断ってしまってすみません」
明るく声をかける迅に、和希が悲し気に謝罪をする。
すると、木崎が和希の肩をポンと叩いて言った。
「気にするな。事情が事情だ。何かあったらすぐに連絡しろよ」
「はい。今回は本当に、ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
和希と望実は、改めて深々と頭を下げる。
「望実、また学校で」
「あぁ、また明日!」
クラスメイトであり、元々仲の良かった望実と烏丸が挨拶したのを最後に、2人の兄弟は玉狛支部を去り、帰路についた。
2人はしばらく無言で歩いていたが、望実が笑顔で和希に話しかけた。
「兄さん、素敵なところでしたね。玉狛支部」
「そうだね。近界民は全て敵だと認識している人が多いなか、ボーダーの中にあのような派閥があるとは思わなかった」
「はい。玉狛の人たちは、近界民だという偏見もなく、とても温かくて、すごく居心地がよかったです」
「そうだね」
冬の昼は短い。
太陽がだんだんと落ちていき、しだいに道は暗くなっていく。
「…望実、せっかく気に入る場所が見つかったのに、僕の判断でそこに居られなくしてしまって、本当にごめんね」
「そんな!兄さんにはお考えがあるのでしょう?僕のことを想って言ってくれたのに、謝ることありません!」
声を荒くして反論する望実に、和希は悲しく笑った。
「それでも、だよ。お前は何も悪くないのに、学校でも正体を隠させて、危険なこともさせて。窮屈な生活をさせてしまって、本当にごめ…」
「兄さん!」
望実は足を速めて和希の前に回り込み、正面から手を握りしめる。
そして、兄の目をじっと見て、救いの言葉を投げかける。
「僕にとって、祖国クロヴィでの暮らしは、牢獄も同然でした。そんななか、兄さんがいてくれたから頑張って生きてこられた。そして、兄さんが僕と一緒に国から逃げて、ずっと求めていた平和な暮らしを僕にくださった!確かに負担も多いけれど、兄さんが背負うものに比べたら何てことありません!」
望実は手を握ったまま、心から微笑んだ。
「だから、申し訳ないなんて思わないでください。僕は兄さんに救われたんです」
和希はその言葉を聞いて思う。
望実は僕に救われたと言ってくれたけれど、本当は、僕が君に救われていたんだ。
望実はそのサイドエフェクト『エンパス』の影響か、その時々にこちらの気持ちを察して、本当に欲しい言葉をくれる。
今回のこの言葉も、暗い考えに沈みそうになっていた和希を、見事に救い上げた。
それに、死んでも守りたい大切な人がいるというだけで、困難なことであってもやり遂げる力を得ることができる。
メンタルコントロールは、戦場で最も重要なことの1つだ。
君がいてくれるから、僕は強くあれる。
だから僕は、望実に感謝してもしきれないくらい、救われているんだ。
どれほどのことをすれば、大切な弟のしてくれたことに、報いることができるだろう。
望実。君のことは、何があろうと僕が絶対に守るから。
それこそが、僕が生きる意味だから。
そう覚悟を決めて、和希は望実の手をぐっと握り返した。
「望実、ありがとう。さて、これからも僕らが平和に生きていくために、僕のプランを聞いてほしい」
「はい、兄さん。どんな時も信じて、付いていきます」
2人は手をつないだまま、しばらく立ち止まっていた足をまた動かし、帰路につく。
夕方の帰り道。暗く沈んでいく美しい太陽が、2人をほのかに照らしていた。
その3日後の夜。
和希と望実は、再び現れたクロヴィの隠密トリオン兵『キャット』を退治すべく、人通りのない路地に来ていた。
和希は、玉狛支部を通じて、ボーダーに『ラッド』の情報は伝えたが、『キャット』の存在は全く明かさなかった。
全ては、この後の交渉をうまく進めるためなのだが、そのせいで望実を危険にさらすことは申し訳ないと感じていた。
「今回の『キャット』の反応は、そこの路地裏に3体だ。いつも通り、素早く終わらせよう」
「はい!」
2人が角を曲がり路地裏に行くと、建物の陰に隠れて、『キャット』が3体徘徊していた。
そのことを確認した和希と望実は、トリガーを起動して一瞬で『キャット』を行動不能にし、再び換装を解いた。
持参したゴミ袋に『キャット』の残骸を入れ、離脱する準備をした兄弟は、小走りで現場を離れようとしていた。
「よし、それじゃあ、家に帰ろう」
「はい、兄さー」
和希の言葉に振り向いた望実がその時見たのは、和希の背後に音もなく何者かが忍び寄り、今にも斬りかかろうとしている姿だった。
「--っ!!」
それに気付いた和希が振り返るよりも一瞬速く、その人物は剣を振るった。
「ぐっ!」
「兄さん!!」
和希はとっさに身を引いたが、右腕に大きな切傷を負ってしまう。
剣を振るったのは、かつての仲間。
黒の戦闘服で闇に紛れ、卓越した剣の技術で全てを切り裂く。
和希と望実の直属の上司であった、クロヴィの玄界遠征隊長。
その名は、フィロス。
間髪入れずに再び斬りかかってくるフィロスに、和希と望実もトリガーを握る。
「トリガー起動!」
和希が剣を抜き、フィロスの剣を受ける。
「やぁ、久しぶり。和希」
「フィロス隊長…!!」
望実もフィロスに銃を向け、援護射撃をしようとするが、望実の背後にいる人影に気づいた和希が声を上げる。
「望実、そっちにも来てる。2人!」
クロヴィの遠征隊員のうち2人が、望実の背後に忍び寄り、銃を向ける。
兄の言葉でそれに気づいた望実も振り返りシールドを張るが、一瞬遅く何発か被弾してしまう。
トリオンが漏れ出す傷口を抑えながら、油断なく相手を見据えると、それは望実の見知った顔だった。
「お前たちは…!」
「久しぶり。望実くん。上の命令により、裏切り者のあなたたちを抹殺しに来ました」
正確無比な射撃で、狙った獲物は逃さない。
銃の達人、ピレティス。
「和希さんも望実くんも、本当に生きていたんですね。でも、またすぐにお別れなんて、悲しく思います…」
銃を用いた牽制で相手を追い込み、仲間をサポートすることについて比類ない才能を持つ。
サポート型銃手、カトテラス。
彼らは、クロヴィの精鋭部隊。玄界偵察部隊。
「祖国クロヴィを裏切ったお前たちを処分しにきた。見知った仲間を斬るのは心苦しいが、上の命令だ。お前たちを抹殺する」
闇に紛れた暗殺計画が、今まさに実行されようとしている。
これは、和希と望実が特に恐れていた状況のうちの1つ。
兄弟が生き延びるための戦いが、今始まる。
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