6話 『クロヴィ』
「僕と望実は、近界の小さな国家、クロヴィで生まれ育ちました」
林藤と迅の協力を得るために、和希は話し出す。
それは、和希と望実が三門市へと来ることになった経緯。
それを話すことで、この人たちを敵に回すことになるのかもしれない。
それを話したせいで、この先ここにいられなくなるかもしれない。
だって、自分たちが元々は玄界と敵対していたということを、明言することになるのだから。
そんな不安こそあるけれど、今後自分たちの身を守るためには、玉狛支部の協力を得るためには、このことを話す以外の選択肢はあり得ない。
そこはかとない不安に葛藤しながら、和希はゆっくりと話しはじめた。
和希と望実は、近界の小さな国家『クロヴィ』で生まれ育った。
その国の政体は、ちょうど近世イギリスのような絶対王政。国王の言うことが絶対であり、国王に逆らう者には罰が与えられる。国王の許可なくして自由はない。そんな社会だった。
2人の育った家庭は保守的な家庭で、生まれた時からずっと、国のために戦い、国のために生きるのだと教え込まれていた。
クロヴィでは、7歳の時に職業適性を見極めるための試験が行われる。
その結果、和希には突出した頭脳が、望実には優れたトリオン能力と、類まれなサイドエフェクトがあると判定された。
兄弟の持つ突出した才能に両親は歓喜し、2人は8歳で国立の軍事学校に通い、常にトップの成績を収めていた。
しかし、それも順風満帆ではなかった。
望実が学校に通い始めて2ヵ月が経った頃、心身の不調が生じはじめたのだ。
「望実、どうしたんだ!?」
「兄さん、ここの人たち、こわい…!!」
クロヴィの軍事学校は、和希や望実のような優秀な子供たちを集め、切磋琢磨して戦闘技術を伸ばすための学校だ。
嬉々として人を斬り裂く異常者の殺意。周囲を踏み台にして出世しようとする、狡猾な者の悪意。
そして、命を奪うことはないとはいえ、自分の手で人を切り裂き、撃ち抜くこと。
その精神的負荷に耐えられない者もまた多く存在した。
そうした異常な波長にさらされた望実は、悪い感情に呑まれそうになってしまっていた。
「兄さん、助けて…!」
望実が助けを求めるたびに、和希は彼を抱きしめ、温かい愛を注いだ。
「望実、いつかこんなところ出ていこう。2人で幸せに暮らすことのできる国に、いつか…!」
戦争も、競争も、悪意もない。ただ笑い合える世界へ。
それが、2人の希望になった。
そして時は過ぎ、2人は軍事学校を卒業して、国の警備にあたっていた。
「兄さん、ここも同じです。みんな他人を蹴落として、自分の手柄を立てることしか考えていない」
「僕にもそう見えるよ。僕達2人だけで、協力し合って生きていこう。他の人は、信じることができない」
2人は常に互いの背中を守りながら、力強く生きていた。
そんな彼らに転機が訪れる。
それは、約4年半前。和希が14歳、望実が12歳だった頃。
傭兵としてその国を訪れていた、ある親子との出会いだった。
「おれは空閑有吾。そんで息子の遊真だ。ここには1ヶ月くらい滞在するつもりだ。よろしく」
「空閑遊真です。よろしく」
年齢が近く、共に任務にあたることも多かった兄弟と遊真は、次第に打ち解けていった。
「遊真くんはお父さんと、とても自由に生きているんだね」
「うん。傭兵としてあちこちを旅しているんだ。色んな国に行くのは楽しいぞ」
望実が遊真の心を覗いても、悪意は感じ取ることができなかった。
なんて純粋な心なんだろう。
殺伐としているクロヴィの同僚とは違い、お互いに話しやすく、和希と望実は次第に警戒を解いていった。
そしてある日、和希と望実は、遊真と有吾にあることを質問してみることにした。
これまで多くの国を渡り歩いてきた経験のある2人に、ずっと聞いてみたいと思っていたこと。
「有吾さん、遊真くん。戦争のない国って、どこかにあるのかな」
「なんでそんなこと聞くんだ?2人は優秀な兵士じゃないか」
この親子を信用することに決めた兄弟は、望実のサイドエフェクトのこと、クロヴィでは生きづらいこと、他には誰にも頼ることができないということを話した。
「僕には、相手の感情を読み取るサイドエフェクトがあるんです」
「そうなの?親父と一緒だね」
「え…?」
そうして2人は、有吾の『嘘を見抜く』サイドエフェクトを知ることになった。
「そうか。たしかにこれからもこの国で生きていくのは、辛いだろうな」
「はい。だから僕達は、いつかこの国から逃げ出して、平和な世界に行きたい」
和希と望実の秘めていた希望を、人に話すのは初めてだった。
「そうなのかぁ。でも、おれたちが旅してきた国は、だいたいどこも戦争中だったぞ?」
遊真は首をかしげながらそう話すが、有吾は心当たりがあるようだった。
「機会があれば、日本に行ってみろ。そこなら戦争も無いし、ゆっくり暮らせると思うぞ」
「日本…!」
兄弟が期待と驚きの反応を見せるなか、遊真はまだ首をかしげていた。
「親父、二ホンってどこ?おれ知らないんだけど」
「おれの故郷だよ。遊真も、もしおれが死んだら日本に行け。ボーダーって組織におれの知り合いがいるからな」
親子のそんな話を聞きながら、和希と望実は心の内に熱く火が灯るのを感じていた。
「日本…!ボーダー…!」
有吾と遊真がクロヴィを去ってからも、その言葉がずっと響いていた。
それから約2年後ーー、
2人は玄界遠征部隊に志願し、諜報員としての役目を担うことになった。
「兄さん、遂に日本に行けるんですね!」
「そうだね。でも、ただ逃げ出してしまったら、国を裏切った脱走兵として、追われ続けることになる。それを防ぐにはーー」
兄弟は、偽の戸籍を使って、三門市の学校への潜入を命じられていた。
どのようなものであれ、少しでも多くの情報を入手し、本国に報告すること。
兄弟は2ヶ月間、本国の命令を忠実に守り、近界民に対する心象、玄界の生活様式など、全てを学習し、本国に報告していた。
その中で、2人は三門市に溶け込むための準備を進めていた。
そして、ある秋の日に、兄弟は事故で死亡したように偽装して、行方をくらませた。
「このような経緯で、僕達はこちらの世界に逃げてきたのです。戦争のない場所で、平和に暮らすために」
「なるほどな。だが、死亡を偽装するって、一体どうやったんだ?」
「中学校の遠足で山に行って、崖から落ちたことにしたんです。当時のクラスメイトを目撃者にして」
「トリガーを起動すれば、崖から落ちても無事で済むというわけか。だが、その後はどうやって戻ってきたんだ?後ろ盾がなければ、三門市で生きていくのは厳しかったんじゃないか?」
「その日の前日に、クロヴィの拠点から大量の金銭と偽造の戸籍を盗み出したんです。そして僕達は、半年間姿をくらませてから、新しい学校で生活を始めたのです」
これが、僕達がこちらの世界に来た経緯。
「たった2か月間とはいえ、僕達が三門市の敵として、本国に情報を提供してしまったのは事実です。どんな罰でも受けるつもりです。でも、どうか信じてください!今の僕達はあなた方の敵ではない!」
必死に訴える和希の瞳を見て、林藤と迅はアイコンタクトを取り頷く。
「おれたちはお前たちを信用するよ。イレギュラー門から三門市を守ってくれたしな」
「うん。2人が敵になる未来は視えないし、そこは心配しなくていいよ。それよりも…」
迅は真剣な瞳で和希を見つめると、和希は頷く。
「そのうちお前たちが襲われるって話。クロヴィの部隊だとしたら、やばいんじゃないか」
「えぇ。僕達が生きていると、知られてしまったのでしょう」
(おそらく、イレギュラー門が開いて、ボーダーの部隊と戦った際に…)
これは、和希と望実がずっと恐れていた事態。
しかし、和希には焦りや恐れはなく、自信に満ちているようだった。
「あなたたちが僕らの味方になってくれるのであれば、確実に対処できます」
「ほう…。何か良い案でも出たのか?」
和希は不敵に笑って答える。
「僕に、プランがあります」
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