4話 『迅悠一』
その日の夜、和希と望実は家に帰った後、2人で鍋を囲んで、つかの間の休息を楽しんでいた。
時刻は20時をまわり、食事を終えて後片付けをしているところだ。
食器を洗いながら、望実は今日の出来事に思いを馳せる。
今日の昼間に買い物に出ていたところ、近くにイレギュラー門が出現し、トリオン兵を討伐していた2人は、ボーダーの精鋭である風間隊に捕捉されてしまった。
なんとか顔を隠しながら逃走には成功したものの、体格や後姿、戦い方の癖などを見られてしまったのは相当な痛手だ。
「…兄さん、これからどうしましょう。これからも僕たちは、学校に通えますか。普通に過ごせますか」
「…そうだね。素性は隠し通せたと思うけれど、この街で生きていくことが難しくなったことには変わりない。今日戦った部隊、相当な使い手だった。僕らの戦術の傾向が知られた以上、次見つかったら逃げ切るのは難しいだろう」
和希と望実の戦闘における強さは、2人の精度の高い連携と、和希の考え出す多彩な戦略にある。
もちろん、和希も望実も、単独であろうとただでやられるほど弱くはない。
和希の剣の腕は相当なものだし、望実の早撃ち技術や火力は大きな武器になる。
ただ、1対複数の状況であったり、ボーダーのA級隊員などの精鋭が相手だと、一歩劣るのだ。
そして、実際に刃を交えた風間隊の3人は、そのことに気がついたに違いない。
和希と望実を引き離せば。戦略を考える時間を与えなければ。戦略を凌駕する物量で押し切れば。
確実に勝利することができる。そのように考えるはずだ。
「…ただ、目下の問題は、イレギュラー門だ。あれが市街地に開く限り、僕らも巻き込まれ、ボーダーと接触するリスクも高まるだろう」
「イレギュラー門ですか。兄さんは、原因はボーダーの外部にあると言っていましたね」
「そうだね。だから、これからそれを特定する。もう遅いし、望実はもう休んでいて。僕は少し外に出てくるよ」
そう言った和希は黒いパーカーを羽織り、深くフードを被って出かける準備をする。
「兄さん、どちらへ行かれるのですか」
「昼間にイレギュラー門が開かれた場所にね。おそらくそこに、手掛かりがあるはずだ」
その言葉を聞き、望実は恐怖で顔が青くなる。
「そんな、危険です…!兄さん、僕も行きます!」
「望実…」
「まだボーダーが監視しているかもしれない。また門が開いて襲われるかもしれない。そんな場所に、1人で行こうとしないでください!僕も一緒に戦います!」
何かあったら、自分が兄を守るのだとーー。
望実の固い決意を見た和希は、温かい気持ちになり、頬を染めにこりと微笑む。
「望実、ありがとう。じゃあ、2人で行こうか。準備しよう」
「はい!」
望実も真っ黒なパーカーを羽織り、深くフードを被る。
いつ襲われても対応できるように、互いの手とトリガーを握りしめて。
夜も深く真っ暗な道を、真っ黒な兄弟が共に歩いていた。
「…どうやら、ボーダーの監視はもう無いようだ」
2人の目の前には、痛ましい光景が広がっている。
昼間に突如として現れたトリオン兵3体により、道路にはヒビが入り、近隣の家屋は壊され、街路樹も倒されていて。
普段はのどかで平和なこの場所を、こんなに壊してしまうなんて。
望実が強く怒りを覚えている隣で、和希は冷静に現場を観察していた。
イレギュラー門をここで開くためには、ボーダーの門誘導装置を無効化させるような装置、もしくは「こちら側」から門を発生させるような装置が必要だ。
目と耳を極限まで研ぎ澄ませて、何か動いているものや、不審な物音がないかを確認する。
するとーー、
ガサッ…ーー
「!!」
和希と望実は同時にその物音の発生源である、小さなトリオン兵を発見した。
そのトリオン兵の名は、『ラッド』。
「これは…!前の内偵の時に見たことがある。確か『ラッド』という、偵察用の小型トリオン兵だ。これは門発生装置のついたもののようだね」
「ということは、こいつがイレギュラー門の原因!」
和希はトリガーを起動して、一瞬で『ラッド』を2つに斬り裂いた。そしてすぐにトリガーを解除し、『ラッド』の残骸を回収する。
「原因さえ見つかってしまえば、あとは簡単だ。何とかしてボーダーにこいつを認識させれば、後はボーダーが駆除してくれるだろう」
ボーダーに『ラッド』のことを伝えるのは比較的容易だ。目立つところに『ラッド』の残骸を残しておいてもいいし、匿名のSNSでも、いくらでも手段はある。
「それじゃあ、一旦帰ろうか」
「はい!兄さん、僕が持ちます」
『ラッド』の残骸が入ったごみ袋を望実に任せ、和希と望実は自宅への道を歩む。
2人で話しながら歩いていると、街路灯に照らされてポツンと人が立っているのが見える。この時間帯に道に人がいるのは珍しい。袋の中のラッドを見られないよう、隠しながら横を通り過ぎようとすると、その人物が兄弟に声をかけた。
「やぁ、初めまして。2人とも」
面識のない人物から唐突に声をかけられて、和希と望実の体は一瞬硬直し、次の瞬間には警戒した目でその人物を観察し始める。
そんな兄弟の様子にも関わらず、その人物はへらりと笑って次の言葉を口にする。
「ここに来れば会えるって、おれのサイドエフェクトが言ってたもんでね」
サイドエフェクト、という言葉に和希は反応する。その言葉、現象を知っているのは、近界民もしくはボーダーのみ。
和希はいつでも換装できるよう、トリガーを握りしめ、望実を隠すように前に立つ。
「おっと、そんなに警戒しないでよ。おれはボーダーの実力派エリート、迅悠一。2人とも近界民なんだろう。おれと少し話をしないか」
声をかけてきたのは、迅悠一。未来視の副作用を持つ、ボーダー玉狛支部の精鋭だった。
兄弟はもちろんそんなことを知る由もないが、その風格により只者ではないと判断する。
「すみません、人違いではないでしょうか。僕たちは先を急いでいるので、失礼します」
2人が立ち去ろうとしたとき、素早く近づいた迅が望実の手を掴む。
「それなら、この袋の中にあるものは何かな」
手を掴まれた望実は振り払おうとするが、生身ではトリオン体に換装している迅の力にかなわず、そのまま掴まれ続ける。
相手がトリオン体ならば、対抗するためには同じトリオン体に換装するしかない。しかしそうすれば、自分たちが近界民だと明言することになる。
最大の警戒を向ける和希と、戸惑い顔を青ざめさせる望実に、迅は薄く笑みを浮かべながら答える。
「まぁ、安心してよ。おれはお前たちを捕まえるつもりはない。おれは向こうの世界に行ったこともあるし、近界民にもいいやつがいるって知っているからね」
その言葉にはっとして、望実は迅の感情に集中する。
ボーダーに見つかってしまったという恐怖と焦りで機能していなかったが、サイドエフェクト『エンパス』により迅の心情を読み取ると、望実はますます戸惑った。
迅に敵意がないうえに、自分たちのことをあまり警戒していないように思われたからだ。
自分たちは彼にとって、正体不明の近界民。トリガーを持ち、武装することができるのだ。
なのに、自分たち2人を警戒しないというのは、あまりにも不可解だ。
望実は、迅に手を握られたまま、和希の方を向いて目配せする。
それを見た和希はふうと息を吐き、目の前の人物への警戒を解いた。
「それで、話というのは?」
「やっとおれの話を聞いてくれる気になったかな」
迅は望実の手を解放し、2人ときちんと向かい合う。
「単刀直入に言おう。お前たち、イレギュラー門の原因を知ってるんだろ?今ボーダーは原因がわからなくて、ほとほと困ってるんだ。力を貸してほしい」
和希はすぐには答えず、迅の真意を図りかねていた。
「…あなたは、いったい何が目的なんですか」
「目的、かぁ。一番の目的は、君たちが持ってるそれだけど。それに、おれが所属する玉狛支部は、あっちの本部と違って、近界民となるべく仲良くやっていきたい主義なんだよね。お前たちは近界民だけど、この先三門市に危害を及ぼすことはないって、おれのサイドエフェクトが言ってたもんでね」
『サイドエフェクト』という言葉に、望実が反応する。
「あなたも、サイドエフェクトが…?」
「おれは、未来を視るサイドエフェクトがあるんだ。だからお前たちがここを通るのも視えてたし、三門市の敵になる可能性も低いとわかったんだ」
(なるほど。だからか、この警戒心のなさは)
和希は、ひとまずは納得し、迅の要求に応じる。
「そういうことでしたら、こちらのトリオン兵『ラッド』がイレギュラー門の原因です。差し上げますから、ボーダーで解析して駆除していただきたい」
「おっ、ありがとう。助かるよ」
顔をほころばせて手を差し出す迅に、望実は手に持つ『ラッド』を差し出そうとするが、和希が待ったをかける。
「ただ、その前に1つお聞きしたい。あなたの話から察するに、ボーダーには派閥があり、僕達に対する対応がそれぞれ違うようだ。お聞きしたいのは、今回あなた方に情報を渡せば、僕達の身の安全が確保されるのか、ということです」
迅は少し考える素振りを見せる。
「それなんだけどね。おれたち玉狛支部はもちろんお前たちを捕まえたりしない。ただ、お前たちがボーダーに所属していない近界民である以上、本部がその存在を承認するとは思えないし、本部の目をごまかすにも限界がある。だから、おれから1つ提案があるんだけどーー」
「提案…?」
「お前ら2人、玉狛支部に入らないか?」
「僕たちが…!?」
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