37話 『林藤匠』
クロヴィとの戦いからすぐ、黒トリガー争奪戦の裏で、父さんと秘密裏に会って、クロヴィの計画を聞かされた。
その翌々日、本部の会議で、大規模侵攻があることを知らされた。
その時から、クロヴィが今度の大規模侵攻で、何がなんでも僕ら2人を仕留めに来ることは、わかりきったことだった。
その情報が入ってから、今日までの約1ヶ月。再び訪れるクロヴィとの戦いに向けて、何をすべきか。それだけを考えていた。
「遊真くん。それから和希くん、望実くん。もし君たちが望むなら、君たちを正隊員に昇級させたいと思っている。君たちには、それだけの実力がある。どうだい」
大規模侵攻対策会議の後、忍田本部長が僕ら3人に対してこう言ってくれたのは、僥倖だった。
「やっぱいいや。正隊員には自力でなる。いい話だと思うけど、ボーダーのルールで下から順に上がっていかないと、納得しない人が出ると思うよ。おれは近界民だから」
「そうか。私の考えが足りなかったな」
「いえいえ」
遊真はあっさりと断ったが、和希はこれを、クロヴィと戦ううえでの切り札にしたいと考えていた。
「忍田本部長。次の大規模侵攻のこと、特に僕たちの祖国のことで、お話があるのですが、少しいいですか」
「……!それは、今ここでは言えないことかい?」
「はい。できれば、ボーダーの誰にも聞かれたくないです。遊真と修くんも、少し席を外してくれるかな」
すると、忍田本部長は会議室を取って、3人だけで落ち着いて話す場所を作ってくれた。
「ここなら、誰も入ってくることはない。監視カメラやレコーダーの類も、私の権限で止めておいた。安心して、話してくれたらいい」
「ありがとうございます。あなたのことを信用して、これから僕たちの生死に関わる話をします。どうか、力を貸していただきたい」
忍田本部長に、クロヴィの刺客である父親と接触したこと、その目的が、和希と望実をスパイとしてボーダーを探ることであり、次の大規模侵攻の際に身柄を狙ってくるであろうことを、包み隠さず話した。
この情報は、教える相手を間違えれば、僕たちの命の保証はない。
(教えるとしても、相手は相当選んでからだ。そう思ってたけどー)
忍田本部長を観察していて分かった。彼にとっては、街を守ることが第一優先だ。
近界民であろうと、この街に害を加える者でなければ、好意的に接する信条の持ち主。
さらに、ボーダーの本部長として大きな権限を持っており、関係者からの信頼も厚い。
この人ならば、信用することができる。そして、僕たちを救う力も持っている。
(話すなら、この人しかいない!)
和希の話を一通り聞いた忍田は、クロヴィの強硬な姿勢に顔をしかめながらも、厳しくも優しいまなざしで、落ち着いて次の言葉を待ってくれた。
「先程、僕たちをB級に昇級させることができると言ってくださいましたよね。僕たちとしては、とても有難いです。クロヴィに命を狙われているので、ベイルアウト機能が喉から手が出るほど欲しいと思っていました」
「そうか。それならー」
「しかし、ただベイルアウト機能があるだけなら、クロヴィに捕まってしまうおそれはゼロではない。玉狛支部はそこまでセキュリティが厳重ではない。ましてや大規模侵攻という緊急事態だ。ベイルアウトの光線を追われて、換装を解いて無防備なところを狙われたら終わりです」
この問題を解決する方策は2つ。
1つは、ベイルアウトの転送先を、ボーダー本部内などの攻め入るのが難しい場所に設定することだ。
しかしそれは、和希と望実のボーダー内での立場を考えると、かなり難しい。また、大規模侵攻が警戒区域内で行われる以上、ボーダー本部内も安全とは言い切れない。
ならば、2つ目の選択肢だ。
「クロヴィに、僕たち2人のトリガーにはベイルアウト機能がないと思わせておきたい。玉狛の皆さんにも、ボーダー隊員にも、できる限り誰にも知られずに、B級に昇級させてもらうことは可能でしょうか」
「なんだって…!?」
父さんは、クロヴィでも有数の戦術家だ。僕たちにベイルアウトがあると前もって知らせてしまうと、ベイルアウト先の玉狛支部で、待ち伏せしたり、罠を仕掛けてくるだろう。
ベイルアウトは無いと思わせておけば良い。ベイルアウトの光線を追われ、玉狛支部に追手が来たとしても、2人が逃げ出すまでの時間を稼げればいい。
「僕はこれを、祖国と戦うための切り札にしたい。忍田さん、僕たちをB級に上げてください。僕たちをどうか、助けてください」
「…わかった。和希くんと望実くんには、ボーダーも随分と助けられているからね。ただ、開発室チームと人事管理、そして上層部にはこれを知られてしまうが、それでも良いか」
「もちろんです。ありがとうございます!」
そして兄弟は秘密裏にB級に昇格し、ベイルアウト機能の付いたトリガーを支給された。
その際、開発室に頼み込み、隊服のデザインをクロヴィから支給された隠密活動用トリガーに似せてもらったのも、ミスリードに一役買ったのは言うまでもない。
その日家に帰ると、和希はボーダーから支給された端末で、ある人物に電話をかける。
数回のコール音の後、低く落ち着いた声がその名を呼ぶ。
『風間だ。織本か』
「お疲れ様です。大規模侵攻のことで、少しお話いいですか」
『あぁ、構わない』
風間と和希は、迅と共に一度話したことのあるだけの関係だったが、同時に和希と望実の事情を全て把握したうえで味方になってくれている人物であり、困ったことがあれば頼るように言ってくれた数少ない人物でもある。
あの時迅は、大規模侵攻対策会議で顔を合わせた時に和希と望実が驚かないよう、前もって紹介したと言っていた。
しかし、あの未来を視ることができる、頼れる玉狛の先輩は、もしかしたらここまで見通したうえでの行動だったのかもしれない。
「風間さんたちには、大規模侵攻の時、僕と望実と一緒に行動してほしいんです。風間さんの隊に『モールモッド』以上の強いトリオン兵をお任せして、僕たちは『バムスター』などの弱いトリオン兵の処理を担当するような、役割分担をして共に行動すれば、効率的にトリオン兵を狩ることができます」
「…『モールモッド』程度なら、お前たちにも簡単に倒せるんじゃないのか」
「僕たちはベイルアウトの無いC級隊員なので、万が一にも傷つくわけにはいかないから…」
こうして、自らがC級隊員であるという事実を、風間に擦りこませていった。
そして、下準備の中で和希が最も覚悟が必要だったのは、クラスメイトへの説明である。
「おい和希、んなとこに呼び出して、何のつもりだよコラ!」
体育の授業の時に、誰にも聞かれたくない話をするから、校舎裏に来てほしいと影浦に伝えた。
あんなに一方的な約束を、律儀に守ってくれる友人に自然と笑みがこぼれる。
影浦が本当に来てくれて嬉しいと思うと同時に、心のどこかで来てほしくなかったと思う自分もいる。
だって、この話をしてしまったら、影浦が僕の友達でなくなってしまうかもしれないのだから。
「カゲ。来てくれてありがとう。早速本題に入りたいと思う。今日は話があって、実はー…」
話を切り出そうと思っているのに、なかなか次の言葉が出てこない。
喉がカラカラに乾いていることに気付く。それだけではない。手も震えているし、視界もいつもより狭い気がする。
恐怖と緊張という感情を自覚し、和希は自嘲する。
(カゲを信じると決めたくせに。それ以外道がないのは分かっているはずなのに。僕はまだ、びびってるんだなぁ)
それもそのはず。これから話すことは、和希にとっては生命線。話す相手を間違えるだけで、簡単に自分の命を落とすことになるのだから。
『感情受信体質』のサイドエフェクトを持つ影浦は、そんな和希の心情を読み取り、バンと強く和希の背を叩いた。
「うわっ!えっ、なに?」
「おい和希。てめーがオレのことを怖がるなんて、珍しいじゃねーか。ま、怖がらねぇやつの方が、本来珍しいんだがな」
影浦は、他人の感情を読み取るサイドエフェクトのせいか、元来気性が荒く、初対面の人からは怖がられやすい。
しかし和希と望実は、はじめから影浦を怖がることなく、近い距離で接してくれていた。
それは、似た体質である望実の存在により、その気性や態度に覚えがあったからか。もしくは、和希の観察眼や望実のサイドエフェクトにより、彼から危害を加えられることはないと見抜いてのことだったのかもしれない。
何にしても、和希が自分に対して「怖い」という感情を突き刺すことが、影浦にとっては大きな違和感なのだ。
「あはは!そりゃあ、カゲったら、目つきも態度も悪いしね」
「うっせぇ!いいからさっさと話しやがれ!大事な話なんだろ?」
カゲに背中を叩かれ、手の震えが止まる。
怖いという気持ちは消えていないものの、それよりも嬉しい気持ちや、信じたいという気持ちが湧き上がってくる。
こんなに良い人と、出会うことができたんだ。こんなに嘘だらけの、この僕が。
「じゃあ、これからの僕の話は、決して他の人に話さないようにしてほしいんだ。今度の大規模侵攻についての話なんだけど、忍田本部長の許可は取っているから」
「忍田さんの?…あぁ、わかった」
影浦の瞳をまっすぐ見て、その言葉に嘘がないことを確認する。
そして、遂に覚悟を決めて、その言葉を切り出す。
「僕と望実は、…その、近界民なんだ」
「……は?」
和希は影浦に、これまでの経緯を話した。
近界の祖国から逃げてきたこと。こちらの世界で一般人として平和に暮らしてきたこと。最近ボーダーに見つかってしまい、玉狛支部から入隊したこと。祖国に今も追われていて、次の大規模侵攻で命を狙われるであろうこと。
影浦は初めは半信半疑だったものの、和希の真剣な瞳を見て、ふざけた冗談ではないことを確信していった。
「……正直信じらんねーが、ふざけた冗談じゃなさそうだ」
「そっか。カゲのサイドエフェクトは、嘘かどうかも見抜くことができるんだっけ?」
「百発百中じゃねーが、嘘つきながらそんな感情刺してくる奴はいねーよ。それに、何でこのタイミングで、わざわざ玉狛から入ったのか、辻褄が合ったぜ」
「はは。確かにそうかもね。でもよかった。カゲも信じてくれるんだ」
気丈に振る舞っているつもりなのに、次第に胸が熱くなり喉が痛くなる。目から温かい何かが、溢れ出てくるのを、止めようとしても止められなくて。
そんな自分を客観的に見ながら、和希は初めて玉狛支部に行った時のことを思い出していた。
烏丸に近界民だと話した時、望実は泣いていた。
サイドエフェクトの無い僕には、望実がどんな思いで涙を流したのか、はっきりと理解することができなかったけれど。
(…そっか。あの時の望実も、こんな気持ちだったんだね。大切な友達が僕たちの正体を知っても、まだ友達でいてくれることが、こんなに嬉しいだなんて)
感極まって泣き崩れてしまった和希を、影浦は肩に手を置きじっと待っていた。
しばらく経ち和希が落ち着くと、影浦は「さて本題だ」と悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それで?おめーのことだ、オレに話したってことは、何かやってほしいことがあんだろ?」
和希のことをよく理解している発言に、自然と笑みが零れた。
「カゲの隊は、もともとはA級にいたほどの実力派だって聞いてる。そのくらいの力がある人にしか、頼めないことなんだ。それはー」
『大規模侵攻中、祖国からの追手を僕たちが誘き寄せるから、倒して捕虜にしてほしい』
3分間、見事に正人を引きつけ続けた望実は、北添の援護射撃の隙に王子に助け出され、正人から距離を取った。
和希と望実により、結果的に”誘い出された”形になった織本正人は、影浦隊・王子隊に包囲され袋の鼠となっていた。
『カゲ、ゾエ、王子。間に合ったんだね、よかった。その男が僕たちの父さん。皆に捕まえてほしい人だよ』
正人を囲む陣形を取る影浦隊と王子隊は、和希と通信で標的の確認や情報共有などを行う。
『彼は、近界でも指折りの剣士だ。圧倒的な剣の技術と、的確な状況判断力が彼の強み。銃撃とかは無いと思う。あとー、』
「…わかったよ。おい望実!」
「はいっ」
「ベイルアウトしろ。テメーの兄貴の指示だ」
影浦からの指示に、望実は一瞬考える。
(僕は確かに、もう手足を削がれて戦う力は残っていない。でも、僕がもう少し強かったら、カゲさんたちに丸投げせずに済んだんだろうか…)
それは自分の力不足のせいなのか。この戦場で僕にできることはもう無いのだろうか。そんな不安と不満に苛まれた望実の肩を、影浦が不器用に優しく叩く。
「テメーに心配されるほど、俺たちは弱くねーってんだ。分かったらさっさとベイルアウトしやがれ」
圧倒的強者の言い放つその言葉は、何よりも説得力があり、何よりも心強いく感じられた。
望実は安心したようににこりと笑って頷き、光の柱となり飛んで行った。
『カゲ。望実にベイルアウトするよう言ってほしいんだ。きっと、僕からの指示よりカゲの言葉の方が、望実は安心して離脱できるから』
実際に、影浦の言葉は確かに望実の心に響いたらしく、安心して飛んで行った。心を読める影浦にはわかる。
ただ、そんな繊細な心情を、遠く離れた場所にいる和希が言い当てたことが、影浦には奇妙で仕方なく思えた。
「チッ、気色悪ぃ。アイツには一体何が見えてんだ…」
影浦が望実と話している頃、玉狛支部のオペレーション室にいた宇佐美、レイジ、和希は、望実が無事に帰ってくることを喜んでいた。
「望実くん、無事に戻ってこられそうでよかったね!」
「お前たち2人とも、格上相手に本当によくやった。作戦が見事にはまったな」
「はい、ここまでは。でも、僕たちの戦いはまだ終わっていません。作戦の最終段階に移ります」
「…!?まだ何かあるのか?」
「はい。このままでは、父さんを捕まえることはできても、僕たち2人はクロヴィの別動隊に捕まることになるでしょう」
クロヴィからはおそらく、父さんの他にも別の人員が派遣されている。たった1人で遠征に来るなんてありえない。
そして、父さんのことだ。僕たちがベイルアウト機能のついたトリガーを持っていない前提に立っていたとしても、万が一の対策もしているだろう。
警戒区域中に散らばっているトリオン兵『キャット』の観測情報をもとに、ベイルアウト時の光線を解析して和希と望実の居場所を絞り込む。
「今頃クロヴィは、父さんの生還を諦めて、和希と望実の確保を至上目標にしているに違いない。僕たちが玉狛支部にいるということも、突き止められている頃でしょう」
「…クロヴィが玉狛に来るということか?それで、お前はどうするつもりだ」
「僕と望実は、今すぐ玉狛支部を出て、街中で姿を消し、潜伏します」
「ええっ!無茶だよ!」
和希の無謀ともいえる計画に、レイジは目を見開き、宇佐美は悲鳴のような声を上げる。
和希もわかっている。これがどれだけ無謀な賭けになるか。
「和希、その計画はあまりに無謀だ。敵はクロヴィの部隊に、潜伏しているトリオン兵もいる。お前たちがいくら隠れるのが上手いといっても、人海戦術ですぐに居場所なんか突き止められる」
「そうだよ!それに、和希さんも望実くんもしばらく換装できない。生身で逃げなきゃいけないんだよ?和希さんなんて、足の怪我もまだ治ってないのに…!」
「勝率が低いことはわかっています。でも、このままここに留まって、みなさんを巻き込んで死なせてしまうのは、もっと嫌なんです。」
和希と望実がこのまま玉狛支部に留まり続けたら、換装できる戦闘員のいない今、ここは簡単に攻め込まれてしまうだろう。
大好きな玉狛支部の皆さんを、そんな危険にさらしたくない。これは望実と話して決めたことだ。
「僕たちは、この街や玉狛支部の皆さんが、本当に好きなんです。だから、この街のために僕たちの命を使えるのなら、悪くないなって思うんです。だから、僕たちはここを離れます。たとえ死ぬことになっても」
覚悟と諦観を秘め和希がそう話した時、望実の戻ってきたベイルアウト室の方から突然ガタンと大きな音がし、ゲホゲホと咳き込む音も聞こえた。
「え…!」
和希とレイジが急いでベイルアウト室へ行くと、望実が床でうずくまっていた。
「おい望実、どうした、大丈夫か」
レイジが素早く望実を介抱するが、望実は顔色が真っ青で、小さく咳き込んでいるまま動かない。
「レイジさん、兄さん…、…痛っ!」
レイジと和希のことは認識できているようだが、和希と目を合わせた瞬間、痛いと言って右足をおさえた。
この症状に、和希は覚えがある。
サイドエフェクトの使い過ぎによる、精神異常と体調不良だ。
望実は正人との戦闘で、サイドエフェクト『エンパス』を最大感度にして戦った。
他人の心情に共感してしまうこの能力は、諸刃の剣だ。
おそらく、サイドエフェクトの感度を急には戻せず、この場にいる人の感情を明確に読み取ってしまい、混乱してしまったのだろう。
「…レイジさん、そのまま望実を介抱してあげてください。僕は別の部屋でこの後のプランを考えます」
「お前が付いていたほうが、安心するんじゃないのか」
「…望実が、右足を痛がっているでしょう。それ、僕の感情なんです。たぶん、僕の焦りも恐怖も望実は共感してしまいます。僕は今、望実と一緒にいない方がいいんです」
部屋を出た和希は、頭を抱えるしかなかった。
(くそ、読み違えた。望実はおそらく動けない。このままだとクロヴィが戦闘員のいない玉狛支部に攻めてくる。それまでに何か手を打たないと、ここが壊滅する)
高速で頭を回転させるが、良い考えは浮かばない。
そうこうしているうちに、玉狛支部の玄関から音がして、誰かが入ってきた気配を感じた。
(想定より早い!まさかもうクロヴィが…)
和希が玄関に駆け付けると、そこにいたのは林藤支部長だった。
「よっ、和希。お疲れさん」
「り、林藤支部長…!?」
思いもよらぬ人物の帰還に、和希はあんぐりと口を開ける。
「り、林藤さん、今日は本部にいらっしゃるはずでは…?」
「その予定だったんだけど、お前ら2人が無謀な行動に出るかもしれないって迅に言われてな。慌てて戻ってきたわけだ」
「え…!!」
林藤は、全てを見透かしたような瞳で、その瞳に静かに怒りを湛えて、和希に苦言を放つ。
「お前ら2人、どう見ても満身創痍なのに、これから生身でクロヴィの追手を引き付けようとしてたろ。んなことしたら100%死ぬって迅のやつが連絡よこしやがったんだ。全く、何考えてんだ」
ほら、怪我人は座った座ったと和希を部屋に押し込み、右足の様子を見る。
「骨折られたのは1か月前なのに、まだほとんど治っていない。和希お前、ずっとトリオン体で生活してたろ。顔色も悪いし、ろくに寝てないんじゃないか」
「う…、はい……」
「成長期に何やってんだ。」
「いてっ」
気まずそうに目を伏せる和希の頭に、林藤のチョップが炸裂する。
「お前は望実と一緒にしばらく絶対安静だ。少なくとも大規模侵攻が終わるまで、玉狛支部から一歩も出るな」
「でも、このまま僕たちがここにいたら、クロヴィの追手が玉狛に…」
「心配すんな。そのために俺が戻ってきたんだ」
林藤は和希を安心させるために、トリオン体に換装し、その武器を見せつける。
しかし和希は、信じられないという目でそれを見ていた。
「そんな、どうして、僕たちなんかのために…」
林藤はボーダーのなかでもトップクラスの戦闘能力を持つのだろう。
そんな重要な駒が、戦場を放棄して和希と望実のために戻ってきてくれた。正直に言えば、ものすごく嬉しいし安心した。
(でも、僕たちが助かる代わりに、三門市の誰かの命が、きっと犠牲になってしまったんだ)
その事実に、どうしようもなく罪悪感を感じてしまう。
そんな波長を感じ取った林藤が、和希にきっぱりと言い放つ。
「身内の安全を最優先にして、何が悪い」
「え……!」
(だって、ボーダーは街を守るための組織で、戦場では兵士の命なんていつも軽くて…)
祖国クロヴィではそうだった。兵士としての自分たちの命は、あまりに軽く扱われた。
だから今も、自分たちの命を犠牲に街を守ることを、簡単に決断できてしまったのに。
「ボーダーは、子供に最前線で戦争をさせちまってる組織だ。トリオン能力という面では仕方ないとも言えるが、仕方ないで済ませられるほど腐った大人ばかりじゃない。お前のいた国ではどうだったのか知らないが、最前線に立つ子供たちの命を守ることは、ボーダーの義務であり責任だと俺は思ってる」
林藤さんは、これまでの僕たちの常識を、こんなにも優しく覆してくれるのか。
「そういうことだから、もう二度と自分の命を軽く扱うな。お前たち2人も大事な玉狛支部の隊員であり、守るべき市民なんだからな」
「…そんなこと言ってくれるんですね。かなわないなぁ」
和希の心が変わったのを感じ取った林藤は、優しく彼の頭を撫でた。
「さ、俺がちゃんとクロヴィの追手が来た時のために備えとくから、お前は望実と安心して休んでろ」
「それは…」
和希が言葉を発しようとした時、部屋の扉が開き望実とレイジが入ってきた。
望実は少し休んで落ち着いたからか、徐々に顔に赤みが戻っていた。
「林藤さん、僕たちにも最後まで戦わせてください。ボーダーのみなさんがまだ戦ってるのに、僕たちだけじっとしていられません」
「…お前らなぁ」
望実の言葉に林藤はあきれたような声を出す。
「もちろん、無理はしません。でも、僕たちにしかできない役割が、きっとまだあるはずです!アフトクラトルの戦術に関する情報提供や、作戦を提供することは生身でもできます。遊真や修くん、ボーダーのみなさんをサポートしたいです!」
「望実、そうだね。僕たちはまだ戦えるね」
顔色が悪いながらも、気丈に胸を張り頭を下げる望実に、林藤は降参とばかりに「しかたねぇな」と頷いた。
「レイジ、お前が見張ってろ。こいつらが無理しないように」
「了解、ボス」
この日、これまでの僕たちの冷たい常識が、とんでもない温かさで塗り替えられたんだ。
この出来事があったからこそ、僕たちは真の意味で玉狛支部のメンバーになれたんだと思う。
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