35話 『エネドラ』
ガキン!
これまでは撃っても斬っても何の手ごたえも無かったエネドラの体から、初めて何か固いものに当たった感触があった。
(今斬ったのは、まさか…!)
その場所が動かないうちにと、和希はもう1歩踏み込んで斬撃を繰り出す。
「ちく、しょう…!死ね雑魚が!!」
「兄さん危ない!」
「!!」
これまでは、致命傷を負うのを恐れて、いつでも逃げられるくらいの距離から、浅く攻撃を仕掛けてきた。
しかし、エネドラの急所を狙う絶好のチャンスだと感じて、和希は1歩、踏み込んでしまった。
しかし、それは悪手。そこまで近づいてしまえば、エネドラの密度の濃い攻撃は、簡単には避けられない。
(まずっ…!避けきれな…っ!)
「ズタズタにしてやるよ!」
「シールド!」
エネドラの生成した大量のブレードが、和希に向けられる。和希はシールドを展開するが、それで防げるほど、黒トリガーの出力は甘くはない。
「兄さんっ!」
望実が駆け寄ろうとするが、和希がボロボロになりながら何とか逃れてきたのを見てホッとする。
しかし、和希はトリオン体こそ維持しているが、左腕は飛ばされ、体にある無数の刺し傷からトリオンが漏れ出ている。
「織本!」
兄弟とエネドラとの戦闘を少し離れた場所から見ていた風間も、とっさに立ち上がり指示を出す。
「織本はまだC級のはずだ。今使っているのは近界のトリガーだろうが、緊急脱出機能があるとは思えない。やつを死なせるな」
「了解」
「あれだけ大口叩いてたのに…」
急いで彼らの所に向かおうとする風間隊の下に、3人のボーダー隊員が到着した。
「よぉ。遅れてすまねぇな」
「遅い。すぐに行くぞ。相手のトリガー性能と、作戦は頭に入れたな?」
「たりめーだ。チッ、人使いの荒ぇ野郎だぜ」
彼のつく悪態を無視し、風間は心の中だけで返答する。
(今回に限っては、人使いの荒いのは俺じゃない。織本和希だ)
だが、ふと思う。
これほどの作戦を一瞬で立て、黒トリガー相手に対等に渡り合っていた奴が。
気が急いて、敵の攻撃圏内に入り、致命傷を負う…?
実力とそぐわないように感じられる結果に、風間は違和感を覚えた。
望実は傷を負った和希を庇うように立つ姿を見て、エネドラは彼らの下に歩いて近づいていく。
「テメーら2人、やっぱどっかで見た気がすんだよな。『泥の王』の性能も知ってたような戦い方だった」
「……!」
「その黒いフードの下、俄然見てみたくなっちまったな」
「望実、逃げるよ!」
「逃がすかよ!」
エネドラが彼らに向かってブレードを展開しようとした時、彼の側面から大量の弾丸が飛んでくる。
「!!」
そして、歌川と菊地原が、和希と望実に肩を貸し、エネドラから遠ざける。
「織本、無事か」
「風間さん。良いタイミングです」
突如エネドラを襲った弾丸の発射元を見ると、そこにいたのは諏訪隊であった。
「テメーらか。俺たちを呼んだっつー、頭の切れる玉狛の新入りは」
「織本。お前の指示通りに、『スタアメーカー』を使い慣れており、なるべく多くの弾丸を撃つことができる隊員を、連れてきたぞ」
「ありがとうございます。僕の作戦は、実行できそうですか」
「ああ」
風間の力強い言葉に、和希も望実も、心強さを感じずにはいられない。
「そんだけ傷負ってちゃ、もうまともに戦えないでしょ」
「織本さん、後は僕らに任せて、この戦場から離れたほうがいい。緊急脱出も、まだないと聞きました」
「…!そうですね。後は任せます」
この戦場においての、自分たちの役割はここまでかと、和希と望実は共に戦場を離れていった。
「何だぁ?あいつらを逃がして、今度はテメーらが相手かぁ?」
身体を液体化させ、攻撃態勢に入るエネドラに対し、諏訪と堤が余裕あり気に挑発する。
「来いよ、ミスター黒トリガー。ここからは俺らが遊んでやるぜ」
戦場を離れた和希と望実は、警戒区域の中でもトリオン兵が少ない場所を選んで、少し休息を取っていた。
「兄さん、大丈夫ですか?漏れ出たトリオンの量が、尋常じゃない。あと少しで、換装が解けてしまうのでは…?」
「そう、だね。だいぶ紙一重だった。それよりも、望実は大丈夫?切迫した戦闘で、疲れたでしょう。サイドエフェクトも、たくさん使わせてしまってごめんね」
「僕は大丈夫です!それよりも、兄さんが心配で…」
「兄弟2人で和んでいるところ悪いが、休息など取らせる気はないぞ」
建物の陰から突然、低く冷たい、絶望の声が聞こえてきた。
「和希も望実も、ずいぶん久しぶりだな」
現れたのは、和希と望実の実の父親である、織本正人だ。
「父さん…!」
(まずいな、まだ少し早い…!)
想定よりも早い父親との接触に、和希は焦燥の色を見せる。
正人はゆっくりと2人に歩み寄り、優しい口調で語り掛ける。
「和希、望実。玄界でもうまくやっているみたいじゃないか。アフトクラトルの『ラービット』や黒トリガー相手に、見事な采配だった」
侵攻の初期からずっと監視していたかのような台詞に、兄弟は顔を青ざめさせる。
「お前たち2人が、これほどの能力を持った兵士に成長したことが、俺は誇らしい。どうだ、再びアフトクラトルに忠義を尽くす気はないか」
言葉こそ温厚だが、その裏にある父の本心を、2人は知っている。
逃げるのなら、逃げられなくする。抵抗するなら、どんな手を使っても従わせる。
柔らかく思える態度とは裏腹に、父の冷酷な瞳が厳しいメッセージを突きつけていた。
「…そんなの、はいって頷くわけないでしょ」
気丈に言葉を発しようとするが、声は震え、体は動かない。
この一瞬が、とんでもなく長い時間のように感じさせられるほどの、恐怖。
父は、クロヴィでも指折りの優秀な軍人だった。自分にも他人にも厳しく、常に鍛錬を欠かさない。
そんな父親から、和希と望実は5歳の時から、過酷な英才教育を受けていた。
トリオン体といえ、剣で斬られる恐怖、人を斬る恐怖。生身での訓練も、過酷を極めた。
次第に、2人の隠密活動に対する適正が認められ、生身の人を斬るようになるまで、時間はかからなかった。
初めて人を斬った日は、食事が喉を通らなかった。
サイドエフェクトにより全てに共感してしまう望実にとっては、特に過酷だっただろう。
そんな英才教育を受けたおかげで、軍事学校では負けなしだったことについては、父に少しは感謝している。
しかし、2人に過酷な訓練を課し、いつ死ぬかもしれない戦場へ躊躇なく送り出した父親は、2人にとっては恐怖と憎しみの対象だ。
しかし、恐怖していても、始まらない。
この父親を乗り越えなければ、兄弟に平穏な未来はない。
「父さん。僕はあなたと戦います。望実と一緒に、逃げ切ってみせます!」
「ほう。お前なら、俺がなぜこのタイミングで現れたかも、わかっているだろう」
「アフトクラトルの侵攻が本格化して、ボーダーに余裕がなくなるタイミング、そして僕たちが消耗し、単独で行動するタイミングを狙っていた、でしょ」
「正解だ。ここまでは完全に俺の計算通りに進んでいる」
確かに、今の状況は圧倒的に父さんが有利だ。
僕たちは2人きり。ボーダー隊員もまだ近くにいない。僕はエネドラさんの攻撃を食らって、もうトリオンが残っていない。望実もかなり疲れて、集中力が落ちているはずだ。
「不利だから、降参しろって?またクロヴィの駒になれって?そんなの、絶対いやだから」
「僕もです、父さん。せっかくこちらの世界で、友達ができて、やりたいことが見つかったんです。従えって言われても、頷けません!」
「そうか。それなら、お前たちを斬って、屈服させるしかないな!」
クロヴィ有数の攻撃手・織本正人が、傷を負った和希に向かって突進する。
正人の目から見ても明らかに、黒トリガーの攻撃をモロに受けた和希の体は、伝達系が切断されて、もはやまともに動くことができない重症。
(ボーダー隊員の緊急脱出機能が、お前たちのトリガーに備わっていないのは、風間とかいう若い男の言葉からも分かっている!)
側面から望実が弾丸を撃ってくるが、陽動も作戦もなく飛んでくる弾など、対処は容易い。
所詮わが息子たちは、周囲の力を借りないと強くはなれない。単体では全く怖くない。
あとは、和希の首をめがけて、剣を振るうだけだ。
「兄さん!」
望実の叫びが響き渡る。しかし、今まさに斬られようとしている和希の表情を確認すると。
彼は、まるで計算通りと言わんばかりに、笑っていた。
斬られる前の一瞬で、望実に素早く指示を出す。
「望実。僕が斬られてから、あと3分だけ粘って」
「…はい!」
そして、実の父親の剣により、和希の首が切断され、換装が解けた。
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