34話 『エネドラ』
目の前には、アフトクラトルの黒トリガー使い、エネドラ。
対してこちらは、ノーマルトリガーの一般兵2人。風間隊を逃がしてしまった以上、しばらくボーダーからの増援はない。
つまり、しばらくの間、この圧倒的兵力差のなか、黒トリガーを相手しなければならない。
「覚悟はいいね、望実」
「はい!」
死角である足元から突如として現れたブレードを、和希と望実は跳んでかわし、大きく距離を取る。
そして望実は、手に取った2丁拳銃を連射し、大量の弾丸をエネドラに向けて放つ。
しかし、自身の体を液体化させることができるエネドラは、弾丸が当たっても損傷した様子は見られない。
「効かねぇなぁ!」
雨のように放たれる弾丸に、しびれを切らしたエネドラは望実の足下からブレードを生やすが、望実は軽々と跳んでかわす。
そして、望実が彼の意識を引いてできた隙で、和希がエネドラの背後にまわり、胴体をブレードで一閃。
それにも効果はなく、エネドラがブレードを繰り出すが、和希は後ろにさがって回避。
深く踏み込むことなく、互いが互いをフォローしながら、最小限のダメージで黒トリガーを翻弄している。
そんな彼らの戦闘を、一時離脱した風間隊は、近くのトリオン兵を始末しながら、冷静に観察していた。
「なるほど、自身のトリオン体を、液体にする能力か…」
だから織本は、俺たちを離れさせたのかと、風間は納得する。確かに、風間隊のブレードトリガーとは、相性が悪い。
「…それにしても、彼ら2人、本当に黒トリガーと対等に渡り合ってる…!!さっきまでは、『モールモッド』相手でも危ないって言ってたのに…」
「全然対等じゃないでしょ。あの2人は黒トリガーから逃げ回ってるだけ。避けるだけなら僕たちでもできましたよ。こっちの攻撃は効いてないし、そのうちボロが出る」
歌川が彼らを賞賛する反面、菊地原はぶうぶうと文句をたれるなか、エネドラと戦闘中の和希から通信が入る。
『風間さん、聞こえますか』
「織本か」
『よかった。聞いてほしい話があるんです』
戦闘中であれど、落ち着いた風の和希の声に応答すると、ほっとしたような声が返ってくる。
「見ての通り、僕たち2人だけでは、彼を倒すには至りません。だから、彼を倒すために、風間さんたちにやってほしいことがあるのですが、いいですか?』
「…構わない。話せ」
『ありがとうございます。それでは、彼のトリガー性能についてと、彼を倒すための作戦を、これから伝えますね』
エネドラと激しい戦いを繰り広げながら、望実はかつての兄の話を思い出していた。
クロヴィの諜報員として、アフトクラトルを偵察していた時に、兄に尋ねたことがある。
「兄さん、アフトクラトルは、やっぱりトリガー性能から段違いです。どれだけ情報を集めても、クロヴィには勝ち目がないように思うのですが…」
「うん、たしかにね。僕たちの持つノーマルトリガーと、角でパワーアップした彼らのトリガーとでは、一対一で戦うことになれば、どうがんばっても勝てないだろうね」
「一対一で、ということは、人数さえいれば、僕たちでも彼らに勝てる…、ということですか…?」
「まぁ、勝つまではいかないとしても、時間稼ぎとか逃げに徹することだったら、僕たち2人だけでも、そこそこできると思うよ。…信じられない?それなら、一緒にプランを考えてみようか」
その時は、ちょうどその日に情報を得た、『泥の王』を相手取った時のことを考えることになったんだ。
『泥の王』の性能は、自身のトリオン体を、固体・液体・気体に状態変化させるというもの。
液体・気体にすることで、銃撃や剣による攻撃を受けたとしても、ダメージを受けることがない。
また、液体化させたトリオンを建物や地面から通したり、気体化させた見えないトリオンを使って、相手が絶対に反応できないような攻撃をすることもできる。
僕から見れば、チートが過ぎるこの能力だけど、兄さんはどうやって攻略する気なんだろう。
「じゃあまずは、彼の攻撃をどう避けるかについて、考えていこうか。トリオンを液体・気体にして、死角から攻撃できる相手。望実だったら、どう対応する?」
「僕だったら、サイドエフェクトを使って、相手の考えを読んでかわします…」
「そうだね。じゃあ、そういうサイドエフェクトがない、僕はどうやってかわせばいい?」
「それは…」
和希の問いに、望実は悩んでしまう。
攻撃が見えない。サイドエフェクトもない。
それなのに、どうすればかわすことができるんだろう。
困った表情で考え込む望実をかわいそうに思い、和希は早々に答えを教えてあげることにする。
「答えはね、僕も相手の心を読むんだ」
「え…?」
兄さんはサイドエフェクトもないのに、どうやって…?
「気づいていたかな?エネドラさん、人を傷つけるのが楽しいのか、ブレードを出す瞬間にニヤっと笑うんだ。気体や液体のトリオンを操作するのは集中力がいるみたいで、目線が必ずそっちにいってる。あと、気体での攻撃はスカッとしないって言ってたから、相当じれないと使わないんじゃないかな?他にも…」
「……!!」
ポンポンと彼の行動の特徴を言い当てる兄に、ポカンと口を開け呆然としてしまう。
「そんなにすごいことじゃないよ。望実も無意識でやってることだ」
「え…?」
「サイドエフェクトは、超能力の類じゃなくて、人の能力の延長戦上にある、現実的な力だって教わったでしょ。たぶん望実は、無意識的に細かい仕草や表情などから情報を読み取って、相手の感情を正確に捉えているんじゃないかな」
すごい才能だよ、と褒めてくれる兄に、自然と頬がゆるむ。
「彼は、フェイントや駆け引きは得意ではない。直情型の人間の考えは、サイドエフェクトのない僕にも読みやすい。こうした、僕自身の読みに加えて、望実からも適宜指示を出してもらえば、攻撃を避け続けるのは不可能じゃない。」
なるほど、たしかに避けることはできそうだ、と望実も納得する。
しかし、攻撃が当たらないのであれば、彼を倒すことはできない。それについては、兄さんはどう考えているんだろう。
チラと兄を見ると、こちらの考えを読んだかのようにニッと笑い、講義の続きが始まった。
「次は、攻撃することを考えてみよう。斬っても撃ってもダメージのないエネドラさん、どうすれば戦闘不能にできると思う?」
「普通なら、トリオン共有器官か伝達脳を破壊すれば良いのですが、エネドラさんはどこにあるのか…」
「そうだね。彼にも急所はある。問題は、どうやってその位置を特定するかだ」
どうすればいいんだろう、と悩んでしまう望実に、和希は唐突に空のコップを渡す。
「望実。そのコップ、とても大切なものだけど、割れやすいから、気を付けて持ってね」
「えっ?はいっ!」
その言葉を聞いた望実が、反射的にコップを両手で持ちなおし、胸元に引き寄せたのを見て、「望実は素直だね」と和希が笑う。
「望実がやったみたいに、人間は、大切なものは自分の心臓の近くに持って来たくなるという習性があるんだ。エネドラさんの急所も、きっとそのあたりにあるんじゃないかな」
なるほど、たしかに…と、望実は感心してしまうが、和希の講義はそこでは止まらない。
「そのうえで、彼には突くべき弱点がある」
「えっ、彼に弱点なんてあるんですか?」
「うん。彼には、素早さがない。それと、頭に血が上りやすい。」
望実の持つコップを指差し、和希は説明を続ける。
「じゃあ、こんなゲームを想像してみて。望実の持っているコップに、僕が指先でも触ることができれば勝ち。望実は、ゆっくりしか動けない。ただし、僕は目隠しをしていて、おおざっぱにしかコップの位置がわからない。すると、どうなる?」
和希はおおざっぱにしか位置がわからないという設定なので、望実の胸あたりをめがけ腕を振ってみるが、コップに当たることはない。
「僕の腕の振りが適当だと分かっていても、いつコップに当たるかと冷や冷やするでしょう?」
「はい…」
ゲームが終わり、コップを机の上に置くと、話はまたエネドラのことに戻る。
「エネドラさんも同じだよ。心臓のあたりに急所があるとヤマを張って、そこに向かって斬撃・銃撃を繰り返せば、必ず焦るし、頭に血が上る」
「なるほど、彼をパニクらせれば…」
「そう。頭に血が上るほど、考えも行動も読みやすくなる。そうなったら、彼の攻撃を避けるのも、時間を稼ぐのも、ラクになると思わない?彼が焦るかどうかで、急所が本当にそこにあるのかどうかも検証できる。そのうえで、うまいこと急所に当たればラッキー!」
望実はなるほどと納得し、思わずすごいと呟いてしまう。
太刀打ちできないと思われた黒トリガーが相手でも、兄さんの戦略でなら、たった2人で抑え込める!
「…でも、それだとやっぱり、僕たち2人だけでは、よほど運がよくないと、彼を倒すことはできないということですか?」
「まぁ、彼を倒すための作戦も無くはないんだけど、リスクが高いからね。僕たちみたいな弱い駒が、黒トリガーを抑えるだけでも充分な戦果だよ。倒す必要があるのであれば、より相性の良い味方を連れてくるのがベストかな」
「相性の良い、味方…!」
策略家の兄は、その時から、今のような状況を想定していたのかもしれない。そう思った。
かつて話したプランの通り、和希と望実は交互にエネドラの背後を取り、彼の心臓付近を狙って攻撃を繰り返す。
「ちっ、効かねぇって言ってんだろ!」
うっとうしいなと、薙ぎ払うようにブレードを繰り出すが、あらかじめどこに攻撃が来るかわかっているかのようにヒラリとかわされ、それがまたイライラを募らせる。
(チッ、こうなったら…)
トリオンを気体にして、体の内部からブレードを突き刺してやろうと、まずは和希に狙いを定める。
「兄さん、そこ危ない!」
「了解!」
気体が届く前に、和希がそこを飛びのいたのを見て、エネドラは自らの攻撃が見破られていることを確信する。
(奴らは何で俺の攻撃を読んでいる?明らかに目では見てねぇ。気体も見破ったんだ、音でもねぇ…)
一方和希は、自分たちの作戦が想像以上に彼に効いていることを実感する。
(思ったより早く気体での攻撃を使ってきた。僕たちの戦いが、確実に彼にストレスを与えている。このまま、増援が来るまで凌ぎ切れ…!)
その戦闘を、付近の建物の上から俯瞰して見ていた風間隊は、その戦闘に介入する準備を進めていた。
「織本の指示通り、奴を呼んだ。もうすぐここに到着する。奴が来たら、俺たちも行くぞ」
「了解!」
和希に授けられた作戦を確実に遂行するために、エネドラの動きを観察する。
「あいつが今飛びのいたところが、気体の攻撃が来ていたところってことですかね」
「おそらくそうだろう。織本は、無駄な動きはしない」
その言葉に表れる信頼に、菊地原は嫉妬するように物申す。
「黒トリガーとはあんなに戦えるのに、なんで雑魚トリオン兵には苦戦していたのか、理解できないんですけど」
「やつらは、兵士として特殊な性質を持っている。特に弟の方は、サイドエフェクトも持っているらしい」
望実は、「相手の感情を読み取る」サイドエフェクトを持っている。
人間が相手ならば大きな効果を発揮するサイドエフェクトも、トリオン兵が相手ならば大した効果は見込めない。トリオン兵には『感情』など無いのだから。
また和希も、相手の表情や仕草、事前に得た情報などから次の行動を予測したり、裏をかいて罠にはめたりするのが得意だ。
そうした、2人が得意とする心理戦や駆け引きなどが、トリオン兵相手には通用しない。
それを理解しているからこそ、和希と望実は自分たちの非力さを痛いほど感じているし、風間隊を心から賞賛するのだ。
相手を倒すことをメインに鍛えられてきた風間隊と、交渉や逃げ戦をメインに経験を積んできた兄弟とでは、得意とするフィールドが違う。
「これまでボーダーにはいなかった、新しいタイプの隊員だ。菊地原、奴らと張り合っても無駄だ。適材適所で、俺たちに任された役目を遂行するぞ」
「了解!」
一方和希と望実は、エネドラからの激しい攻撃を避け続けていた。
僕たちがエネドラさんの攻撃を避けるほど、攻撃の密度が高くなり、避けるのが困難になる。その反面、エネドラさんの隙もどんどん大きくなっているのがわかる。
(肌で感じる。チャンスはすぐそこだ!)
「くっそ、チョコマカとうざってぇ!テメーらみてぇな雑魚ども、とっとと死んどけ!」
僕たちが雑魚だというのは、本当だと思う。
僕には戦う才能なんてない。トリガーの性能も高くない。まともに戦えば、僕たちは瞬殺されてしまうだろう。
でも、死にたくなかった。望実のためにも、負けられなかった。自分の数少ない取り柄である、頭脳を磨き上げるしかなかった。
「人にも、トリガーにも、必ず長所と短所がある。それさえ突ければ、僕たちは負けない!」
だから僕たちは、情報を集め、頭を使い、工夫を凝らすんだ。
「弱いからって、生き残ることを諦めたくない!」
和希がエネドラの背後を取り、彼の胸部を斬り裂く。
液体化しており、斬っても感触の無かった彼の体から、その時ガキンと音がした。
「これは…っ!!」
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