32話 『大規模侵攻』
1月20日、13時頃。
その日、三門市の歴史に残る、記録的に大規模な侵攻が行われるとは、一般市民は全く想像していなかっただろう。
和希が教室で、クラスメイトである王子と話しながら弁当を食べていると、ボーダー本部あたりの空が真っ黒になり、無数のゲートが開き始めた。
「これは…」
「きたね、敵が」
緊急招集がかかった携帯を見ながら、王子は素早く席を立つ。
「和希。僕たちは侵攻を食い止めに行ってくるから、生徒や市民を避難させてくれ」
「うん、わかった。王子、気をつけてね」
「そっちこそ」
王子や北添が慌てて教室を出ていくのを見送りながら、和希は胸に手を当てる。
その心中は、遂にこの日が来てしまった悲観か、充分な作戦を立てた自信か。
絶対にこの日を生き延びると決意を固める。
不穏な空気を感じてパニックに陥るクラスメイトをかき分け、和希は先生に進言する。
「先生。近界民からの大規模な攻撃です。生徒を急いで避難させるよう、王子から言われました」
「えぇ、わかったわ…」
「あと、僕は2学年下の弟と一緒に避難するつもりなので、避難誘導の時に僕がいなくても、ご心配にはおよびませんので。よろしくお願いします」
望実にも、同じことを先生に伝えるように言ってある。
これで、大規模侵攻中に僕たちがいなくなっても、探されたり、迷惑をかけたりすることはない。
つまり、僕たちは大規模侵攻の最中に、誰にも行動を管理されることなく、自由に動くことができるようになった。
ひっそりと校舎の外に出ると、すぐに望実と合流する。
「兄さん!」
「望実!」
さて、大規模侵攻が始まった今、僕たちは一般市民と共に、警戒区域から離れるべきか。それとも、ボーダー隊員と共に、警戒区域内で戦うべきか。
「さあ、事前に打ち合わせた通り、僕たちも警戒区域で戦おう」
「はい!」
答えは、戦う一択。
今回、僕たちの真の敵は、大規模侵攻を仕掛けてくる国ではない。
僕たちを標的とし、捕らえて再び服従させることを目的とする、クロヴィという国家だ。
大規模侵攻中は、ボーダーの持つ戦力の全てを防衛に割く必要があるため、僕たちの保護が手薄になるうえに、市民に何を目撃されたとしても、侵攻国の仕業に見せることができる好条件が揃う。
そのため、この大規模侵攻中に、クロヴィが僕たちに何かを仕掛けてくることは間違いがない。
そんな中、市民と共に警戒区域外に逃げることは、ボーダーの戦力から遠ざかるということ、すなわち、襲撃されても助けを求められないということを意味する。
だから僕たちは、警戒区域の方向を目指すしかないのだ。
「ただし、ボーダーには僕たちのことを認知していない人も多い。必要な時以外は、ボーダー隊員と接触しないようにしよう」
「わかってます。レーダーを常に確認しておきます」
そして、起動するトリガーは、C級に支給される訓練用のトリガーではない。
「トリガー起動!」
真っ黒な戦闘服を纏い、深くフードを被って警戒区域へ駆ける。
(そういう打算だけじゃない。この街が好きだから、守りたいんだ!)
僕たちは、この街が好きだ。この街の人々が、本当に好きだ。
守るために、僕たちにできることがあるのなら、全力を尽くそう。
そして何より、大切な弟の笑顔を守るために。
「この大規模侵攻、絶対に生き残ろうね、望実!」
「はい、兄さん!」
警戒区域を駆けながら、バムスターなどのトリオン兵を少しずつ始末していく。
「無理はせずに、僕たちにできることをやっていこう。バムスターやバンダーのような、弱いトリオン兵だけを相手すればいい」
「はい。ちなみに、そこにモールモッドがいますが、あれはどうしましょうか」
「ここなら生身の市民はいないから、放っておいても問題ない。モールモッドも相手をしない方向でいこうか」
「はい!」
僕たちは、この後クロヴィの精鋭から、襲撃されるだろう。
その時に、万全の状態で迎え撃たなければならない。
2人とも、モールモッドに負けるほど弱くないが、万が一にも傷を負うリスクは避けたいし、トリオンの消費も抑えたいところ。
(弱いトリオン兵だけじゃ物足りないかもしれないけど、がまんしてね、望実)
和希は正直、戦闘自体あまり好きではないし、逃げられるのなら逃げたいと考えるタイプだが、望実はむしろ強い相手との戦闘を楽しむ傾向がある。
そんな望実には、今の状況は少しストレスを感じるのかもしれないな、と和希は考える。
そんな申し訳ない気持ちが伝わったのか、望実が振り向いて、「僕は大丈夫ですよ」とふわりと笑った。
それにしても、と自分たちの今の状況を改めて概観する。
現在位置は、かなり警戒区域の奥側まで来ている。
それはひとえに、余計なトラブルを避けるために、ボーダー隊員や市民との接触を避けながら前進した結果だろう。
ボーダー隊員は、基本的にトリオン兵の進軍先にて迎え撃つため、警戒区域の中でも市街地寄りに位置取っているためだ。
暫し手を止めて、レーダーとマップを照らし合わせていると、望実が慌てたように声を上げる。
「兄さん!もうすぐここにボーダー隊員が来ます!一度逃げたほうが…」
「いや、問題ない。僕たちの事情を、よく知っている人たちだから」
そう言い終わるやいなや、彼らはそこに降り立つ。
「風間さん。合流できて嬉しいです」
そこに降り立ったのは、風間、歌川、菊地原であった。
「なんで僕たちが、玉狛の近界民の面倒みなきゃいけないのさ」
「菊地原。またそんな言い方して…」
「文句を言うな。それに、その2人は荷物ではない。強いぞ」
ぶうぶうと不満を言う菊地原を歌川がたしなめ、風間が一言で隊を統率する。
それが、A級3位・風間隊のチームスタイル。
そう関心していると、望実が不思議そうな顔をしているのが目に入る。
「望実には話していなかったね。僕は風間さんと、大規模侵攻で一緒に行動してほしいと、前もってお願いしておいたんだ」
「ええっ!」
「迅さんの予知によると、僕らと風間隊のみなさんが共に行動するのは、どちらにとってもメリットがあるらしいんだ。僕らにとってのメリットは、もう言うまでもないだろう?」
和希と望実にとってのメリットは、単純に戦力的な問題だ。
2人は弱くはないが、強いわけでもない。ボーダーの基準に当てはめれば、望実はB級上位、和希はB級中位程度の戦闘力しか持たないだろう。単純な戦闘力に限ればの話ではあるが。
そのため、2人だけで行動してしまうと、強力な敵が現れた際に処理できない可能性がある。
また、和希と望実はボーダーに入隊したばかりで、顔も戦闘スタイルもほとんど知られていない。
近界民らしい戦い方により、敵性近界民だと誤認される可能性もあるため、風間隊と共に行動することで身元の保証にもなり、一石二鳥なのである。
(迅さんはきっと、ここまで視て、あの時僕たちを風間さんと会わせたんだ。さすがだな)
これで、モールモッドなどの手強いトリオン兵を風間隊に任せ、僕たちで無理なく対処できるバムスターやバドなどだけに集中することができる。
「僕たちにとってありがたいのは明らかなんですけど、僕たちは風間さんたちに、何を返せるのでしょうか?」
望実が不思議そうに尋ねる。その間もトリオン兵を倒す手は休めることはない。
しかしその時、倒したはずのバムスターから、新たなトリオン兵が出現したのだった。
「へぇ、これかな。僕たちが役に立つ理由ってやつ」
それは、トリガー使い捕獲用のトリオン兵『ラービット』であった。
コメント