3話
イレギュラー門から現れたトリオン兵を討伐していた兄弟を捕捉したのはボーダーの精鋭、A級3位部隊『風間隊』の3人であった。
「まずはこいつらを倒す。素性や目的はその後だ」
「歌川、了解」「菊地原、了解」
風間、歌川、菊地原は、風間の合図でスコーピオンを構え、油断なく和希と望実の出方を観察する。
一方和希は、一瞬のうちに思考を巡らせ、この状況を打破する方法を導き出していた。
対峙しているのは、界境防衛機関『ボーダー』の精鋭部隊。
和希の想定以上の機動力。直前までその存在に気づくことができないほどの隠密能力。モールモッドを一瞬で倒したその手腕。
そして、肌で感じるこの強者の風格。
こいつらは、只者ではない。相当に手強い相手だ。
「望実、まずは交渉する余地があるかどうかを見定める。お前のサイドエフェクトが頼りだ」
「はい、兄さん!」
望実のサイドエフェクトは、『エンパス』。
高度な共感能力を持ち、相手の感情を正確に読み取ることができる。
ボーダーによるランク付けならばSランク『超感覚』に該当する、稀有なサイドエフェクト。
強力な力ゆえに苦労も多いが、交渉するうえでこれ以上の武器はない。
和希は望実に目配せをし、望実が頷いたのを確認して口を開く。
「僕たちはあなた方と争う気はありません」
そして望実は、リーダーであろう風間に目を合わせて集中する。
相手の呼吸に合わせ、自身の気持ちと同化させる。
「それならば大人しく換装を解け。投降するならば危害は加えない」
「……!!」
望実が感じ取ったのは、明確な敵意。そして、逃がさないという確固たる意志。
自分たちへ向けられる冷たい感情に、顔を青くした望実は一歩後ずさる。
その様子を確認した和希は、交渉の余地など無いと悟った。
もしここで換装を解けば、その後尋問があるだろう。近界民で、かつ玄界の偵察任務の人員であったことが知られれば、拘束され最悪の場合は…。
よって、換装を解くことはできない。交渉も困難。
そう判断した和希は無言で剣を構え、戦闘態勢に入る。
それを見た望実も銃を構え、風間隊の3人も雰囲気の変化を感じ取り、スコーピオンを構えなおす。
「やるぞ。歌川、菊地原」
「了解!」
兄弟と風間隊の戦いを、陰から観察している者がいた。
その名は、迅悠一。未来視能力を持つ、玉狛支部の隊員だ。
「風間さんの未来を視てここに来たけど…、これは予想外だったなぁ。何者だ?あの2人…」
戦況を見ると、風間隊が優勢のように思われた。
風間と菊地原の2人が連携して和希を斬りつける。望実がそれをフォローしようとするところを歌川が阻み、兄弟は引き離されてうまく連携が取れていない様子だ。
「2人を組ませるな。こいつらは連携の精度が高い。引き離して、1人ずつ仕留めるんだ」
そう指示を出す風間の刃を和希は剣で受け止め、距離を取ろうとする。
しかし風間はその機動力により和希に間合いを取らせない。
「甘いよ。背中が留守だ」
「くっ…!」
なんとか風間の攻撃を凌いでいた和希だが、背後に回り込まれた菊地原に背中を斬られる。
風間と菊地原の包囲から何とか抜け出すことに成功するが、負った傷から少なくないトリオンが漏れ出ていた。
一方望実は、歌川の連撃をギリギリでかわしながら、右手で持つ1丁の拳銃とシールドで応戦していた。
「望実!」
和希は、かねてから頭の中で描いていたプランを実行すべく、望実に一言指示を出す。
「望実、撤退する。何としても、逃げ切るぞ」
和希は望実とアイコンタクトを取り、安心させるように自信を持って微笑んだ。
自分の考えたプランがそれで伝わると、そのプランが実行可能だと、100%信じて。
その戦いを陰から観察していた迅悠一は、その瞬間未来が確定したことを感じていた。
「なるほどね。これだけ力の差があるのに、逃げ切れるんだ。相当な策士だな、彼」
未来を視て戦いの結末を知った迅は、自分がこの先どのように立ち回るかを考えていた。
「さて、あの2人はボーダーに敵対する気はないようだし、どうするかな…」
「どんどん退がりますね、こいつら」
「囲まれないためには当然の選択だろう。だが、この先には人通りの多い商店街がある。市民を危険にさらさないためにも、ここで確実に仕留める必要がある」
これ以上退がらせないという強い意志を持って、菊地原が和希に斬りかかる。
その瞬間、これまでは右手の銃1丁で戦っていた望実の、左手にも新しい拳銃が出現した。
そして望実は2丁の銃を最大火力で連射し、風間隊の3人の足を止める。
「これほどの火力と速射技術…!だが、弓場に比べたら大したことはない!これをしのいだらすぐに追うぞ!」
望実の弾丸により風間隊の足を一瞬止めたことを確認した兄弟は、その隙に角を曲がって、狭い路地に入っていく。
「逃がすか!」
それを見て、風間、歌川、菊地原もすぐに追いかける。
風間が角を曲がると、狭い路地中で2人の兄弟は、待ち構えているかのようにこちらを向いて、何かを構えていた。
「望実、今だ!」
「はい!」
和希の合図で望実は爆弾を投げ、両者の間に爆発が起こり、その煙幕で風間隊は一瞬兄弟の姿を見失う。
だが、視界を奪い奇襲する戦法は風間隊の十八番だ。3人は奇襲を警戒して、耳を澄ませる。
そう、煙幕に紛れた奇襲を、警戒させられてしまっていた。
兄弟の真の狙いに気づいた風間が声を上げる。
「違う、これは奇襲じゃない!奴らの真の目的は…!」
そして、レーダーを確認していた歌川が、驚愕の表情で報告する。
「風間さん、レーダーから、黒い2人のトリオン反応が消えました!」
「あいつらもバッグワームのような機能があるってことですかね…?」
「いや、違う。煙幕からの奇襲はない。すぐに追うぞ!」
その後風間隊の3人が兄弟が消えたであろう方角に走ると、その先は商店街であり、多くの人が歩いていた。
また、和希と望実も換装を解いて、商店街の人混みに紛れて何食わぬ顔で歩いていた。
2人は戦闘中、黒いフードを深く被り、一度たりとも素顔を見せなかった。
この大勢の人々から、2人を割り出すのは不可能。
「これは、やられたな…」
風間は逃げられたことを悟り、ため息をついた。
「危ないところだった…」
商店街の人混みに紛れて姿を消した兄弟は、戦闘をしていた場所から十分な距離を取り、ようやく緊張を解いた。
「間一髪しのぎましたね。でも、本当に強かった。次また見つかってしまったら、今度は逃げ切れるかどうか…」
「そうだね。今回はイレギュラー門のことがあってやむなしだったけれど、これからはトリガーの使用をこれまで以上に控えよう」
「はい。僕たちの素性が、ボーダーに知られていなければいいのですが…」
不安そうな表情をした望実を見て、和希はおだやかに微笑みかけた。
「不安に思っても仕方ないさ。手立ては僕が考える。それよりも、今夜は贅沢に鍋を囲もう。実はとても楽しみにしていたんだ」
和希の言葉に、望実も笑う。
「はい、兄さん。僕も楽しみです」
時刻はもう夕方。薄暗い道を兄弟が寄り添って歩く。
それはつかの間の平和。2人が求めてやまないものが、まさにそこにあった。
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