29話 『風間蒼也』
正式入隊日からしばらく経ったある日のこと。
和希と望実は、ボーダー本部のC級ランク戦ブースへ来ていた。
「望実、お疲れ様。ポイントはいくらかたまったの?」
「はい!今、2000ポイントまでたまりました」
観戦用の椅子に座り眺めていたのは、遊真がC級相手に無双する姿だ。
「遊真はろくに休憩も入れずにやってるから、僕たちよりずっとポイントたまるのが速いですね。体力あるなぁ…」
「まあ、望実は仕方ないと思うよ。人間相手の戦闘だとサイドエフェクトも酷使するから、他人より疲れがたまりやすいのもあるし」
望実はサイドエフェクト『エンパス』により、相手の感情を読み取ることができる。
相手の思考を読み、戦闘を有利に進められるという利点もあるが、人を斬ることに対する不安や、銃で撃たれる恐怖なども伝播してしまうという欠点もある。
そうした精神的負担もあれば、他人にはない第六感をフルに使って戦うという処理能力への負担もあり、望実は戦闘で疲れやすい体質なのだ。
「ちょっとブースを離れて、飲み物でも買いに行こうか。リフレッシュも大事だよ」
「はい…」
人気のない自動販売機スペースへ来た和希は、温かいココアとコーヒーを買って、ココアを望実に手渡す。
2人はそれぞれ飲み物を手に、空いたソファに座って、穏やかに話す。
ランク戦でのこと、玉狛支部の先輩たちのこと、今の生活が楽しいということ。
彼ら2人は誰もいない休憩スペースで、幸せそうに笑っていた。
しかし、つかの間の休息を取っていたところに、その衝撃は突如としてやってきた。
「おっ、和希、望実。ここにいたか」
「あ、お疲れ様です、迅さ…!」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにいたのは玉狛支部の頼れる先輩、迅悠一であった。
しかし、その隣にいる人物に、2人は思わず立ち上がり、和希は望実を自分の背中に隠した。
「迅さん、そちらの方は…」
「ああ、本部A級の、風間さんだ。風間さん、この2人が、前に話した玉狛の新入りだよ」
「お前たちが、迅の後輩か」
A級3位部隊の隊長、風間蒼也。
和希と望実にとって、彼と顔を合わせるのは、初めてではない。
まだボーダーに入る前、市街地に現れたトリオン兵を対処していた時、彼の部隊に見つかってしまい、命からがら逃げきったことがある。
機動力、奇襲能力、そして単純な剣の腕前でも、和希と望実は彼らにまるで歯が立たず、防戦一方であったところを、2人で連携して耐え忍び、和希の機転で隙を作ってなんとか逃げ出したのだ。
つまり彼は、和希と望実にとって、初めて戦ったボーダーの相手であり、圧倒的な格上。
加えて、彼の鋭い目つきと、低く冷たい声色が、あの時の恐怖を思い出させる。
足はすくみ、手はふるえ、冷や汗が出る。
もしここで襲われたら、なんて。最悪の想像が浮かんでしまうのはなぜだろうか。
なんとか平静を装おうとするが、突然の衝撃と恐怖は、どうしても動揺が態度に出てしまう。
(どうしよう。震えが、止まらなー)
和希が恐怖に吞まれそうになっていると、優しく肩にポンと手が置かれたのを感じる。
「和希、望実。大丈夫か。落ち着いて」
迅の穏やかな声色に、少し緊張が解かれる。
「風間さんは本部の隊員だけど、お前たちの事情も、ボーダーの味方だってことも、全部知ってるよ。だから安心して」
「ああ。以前市街地で戦った、黒いフードの2人組だろう。あの時は任務だったとはいえ、突然襲い掛かってしまって、すまなかったな」
「え…!」
(僕たちのことを、知っている?玉狛や上層部の方以外で…?それに、謝罪なんて…!)
ますます混乱し、パニックに陥りそうになるが、すかさず迅が説明に入る。
「大丈夫。お前たちが近界民だって知ってるのは、本部のA級のなかでも一部だけだ。そう簡単に口を滑らせるようなやつはいないし、何もないのにお前たちに敵意を持つやつはいないよ」
「そ、そうでしたか…」
今は敵意がないと聞いて、ひとまずほっと安心する。
そして、風間に対して簡単に自己紹介をし、怖がってしまったことを詫びる。
「本当にすみません。風間さんの部隊との戦闘がフラッシュバックして…」
「当然の反応だ。悪く思うことはない」
2人が警戒を解いて、風間と話しはじめたを見て、迅は安心したように一息つく。
「よかった。この後の大規模侵攻対策会議、2人も呼ばれてるだろ?会議室でいきなり風間さんと鉢合わせて、怖がるお前たちが視えてさ。前もって顔合わせだけしておこうと思って、来てもらったんだ」
「そうだったんですね。お気遣いありがとうございます」
「お前たちの事情は迅から聞いている。何かあれば俺を頼ってもらって構わない」
「はい!」
ボーダー本部にも、僕たちのことを知っている人がいるとは、予想外だったけれど。
近界民を憎む人たちだけじゃなくて、きちんと話を聞いてくれる人が、きっといるんだ。
風間と別れる頃には、はじめに抱いた恐怖はなりを潜め、2人は温かい気持ちに包まれていた。
僕たちと少し話した後、風間さんと別れ、同じく会議に呼ばれている遊真を呼びにランク戦ブースへ向かう。
「2人とも、ランク戦がんばってるか?」
「まずまず、ってところです。僕も望実も、まだ2000点前後なので…」
「でも、遊真はすごく勝ってて、もう2500までいったみたいです。さっきも見てたんですけど、ホントに瞬殺って感じで…」
「そうかそうか。まあ、ペースは人それぞれだから、無理せずやったらいいと思うぞ」
迅さんのアドバイスを受けながら歩いていると、なんだかC級のブースが騒がしいことに気づく。
「なんか盛り上がってますね…?」
「あー、さっき視えたんだけど、遊真とメガネくんが、ちょっと注目を集めてるらしい。おーい、遊真!」
「おっ、迅さん」
「迅さん!?」
中学生の男の子が、迅を見て真っ先に駆け寄り、まるで犬のように迅さんコールをはじめる。
その隙に状況を把握しようと、和希は遊真と修のもとに寄り、話を聞くことにする。
「遊真。修くん。何かあったの?」
「和希さん、望実さん!さっきまで空閑がランク戦してたんですけど…」
「緑川ってやつがケンカ売ってきたので、ボコりました」
緑川と呼ばれた中学生の隊服に、A級のエンブレムが装飾されているのを見て、なるほどと納得する。
A級隊員を、C級の遊真があっさり倒したから、目立っているのだろう。
そこに、元々遊真たちと一緒にいたのであろう隊員が、声をかける。
「白チビ、お疲れ!次はオレとやろーぜ!って、なんか人増えたな」
彼は、米屋陽介。知らぬ間に遊真と再戦の約束をしていたらしく、観戦するに至ったのだとか。
そして、彼の顔と声に覚えがあった望実は、思わず声をかける。
「あ、あなたは…」
「あれ?おまえ、あんとき白チビと一緒にいた…!」
以前、旧弓手駅で三輪隊に襲撃された時。
その時に和希はいなかったが、望実は換装する前の姿を彼らに見られてしまっている。もちろん、望実が近界民だということも。
しかし、望実の心に恐怖は無かった。
彼と1対1で戦っていた時に感じた違和感。
彼は、僕たち近界民のことを、憎んでいるわけではない。そうした敵意・殺意・悪意のようなものは、彼からは感じなかった。
もちろん、彼のリーダーである三輪からは、強烈な殺意が感じられたのだが。
この人は違う。ただ、戦闘が好きだからボーダーにいる。ただ、任務だから僕たちを襲った。
そんな彼の心は、裏表なく、透き通っているようで。
望実にとって、とても美しく映ったのだ。
「あん時はいきなり撃って悪かったな。うちの隊長は近界民嫌いでさ。今は、命令もないから、いきなり襲いかかったりしねーよ」
「そ、そうですか。よかった…」
そんな会話をしていると、怪訝に思った和希が尋ねてくる。
「望実、知り合い?」
「あの、旧弓手駅で戦った、槍を使う攻撃手の人です」
「あー…」
正直、和希としては、彼にあまり良い感情を抱かない。
三輪隊に襲撃されたあの時、望実は既に玉狛支部に仮入隊しており、それによって、ボーダーから攻撃を受けることはないだろうと踏んでいた。
にも関わらず三輪隊は、遊真だけではなく望実に対しても、躊躇なく銃を向けたと聞いている。
冷たい瞳で彼を観察する和希に、望実が弁解する。
「兄さん、彼は、その、僕たちのこと、悪く思ってないみたいで…」
「え、そうなの?」
米屋を庇う様子の望実を見て、和希は意外だと感じるが、米屋の目はキラキラと光っている。
「お前の兄貴?じゃあもしかして、あん時スナイパーを抑えに行ってた人?」
「そうですよ。望実の兄の、和希です」
「へぇ、すげぇ!なぁ望実、和希さん、オレとランク戦しよーぜ!」
なるほど、彼の性格は大まかに掴めたなと、和希は納得する。
彼は戦闘狂、バトルジャンキーなだけの、性根は良い人物だ。
あの時僕たちを襲撃したのも、ただ上の命令だからというだけで、僕たち近界民に何か恨みがあったわけではない。
ただし、それは裏を返せば、もし再び命令が下されれば、彼は躊躇なく敵に回るということ。
だからこそ、僕たちが危険視すべき相手は、彼ではない。
彼に任務を与える、ボーダー上層部の方だ。
「レプリカ。---」
「……、承知した」
和希とレプリカがこっそり話していると、会議の時間が近づいてきたらしく、迅が遊真と和希、望実の名前を呼ぶ。
「上層部が、お前ら4人に来てほしいんだって。会議室に呼ばれてる」
そして、迅に連れられて、和希と望実、そして遊真と修がボーダー本部の廊下を歩く。
その様子を見たC級隊員の中で、やはり玉狛のメガネと白チビは只者じゃないという噂が流れたんだとか。
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