26話 『迅悠一③』
会議が終わった後、迅と和希と望実は、ボーダー本部内を歩いていた。
「支部長はこっちでまだやることがあるらしいから、しばらく本部にいてくれってさ。どこかでお茶でも飲んで休憩するか?」
その言葉に、和希は周囲に人がいないことを確認して、立ち止まる。
「その前に、大丈夫だと思うのですが、1つだけ…」
「ん、なんだ?」
「クロヴィの捕虜3人の前で、迅さんのサイドエフェクトの話は、絶対にしないでください」
真剣な顔つきで話すのは、最悪の想定。
万が一、父さんにうまくやられてしまって、フィロスさん達が外部との連絡手段を持ってしまった時。
彼らを通して迅さんの能力がクロヴィに知られてしまったらどうなるか。
「隠密活動に長けたクロヴィの部隊は、優秀な兵士の拉致や、引き抜きも得意です」
情報が何より強い武器になるという思想を持つ国家。
迅のサイドエフェクトをフルに活用すれば、敵襲がどこから来るか、相手がどのような戦い方をするか、狙撃や奇襲のタイミングまで、あらゆる情報を得ることができる。
「そこから先は、迅さんなら想像つきますよね」
迅さんは以前、自分のサイドエフェクトのことを「目の前にいる人間の少し先を見る」力だと言っていた。
裏を返せば、会ったことのない人間や、自分自身の未来については観測できないということだ。
もし自分がクロヴィの指揮官であれば、たとえ戦闘力で劣っていようと、易々と迅さんを拉致することができるだろう。
迅さんが警戒しておらず、換装もしていない時に、迅さんが出会ったことのない兵隊をぶつければ良いだけだ。
真剣な瞳で話す和希とは対照的に、迅はふわりと笑って和希の頭にポンと手を置いた。
「大丈夫だよ。おれは、実力派エリートだからな」
「…信じてます」
話が一段落したところで、彼らは再び足を進める。
その目的地は。
「迅さん。僕たち、ランク戦を見てみたいです」
そうしてまず案内されたのは、C級ランク戦のブースだった。
「ここがC級のブースだな。仮想戦闘モードでの模擬戦で、勝ったらポイントをもらえて上に行ける」
「こんなにもたくさんの訓練生がいるんですね…!みんな技術はまだまだだけれど、みんな上にあがろうという気概がある。環境も充実してるし、ボーダーが強いのも納得できます」
(C級のレベルはこのくらいなのか。それならなんとか、いけるかも…)
望実がわくわくしながら対戦を眺めているのとは対照的に、和希は自分の次の動きを考え始めていた。
「おまえたちの国では、仮想戦闘モードは無かったのか?」
「クロヴィは、そこまでトリガー技術が発達しているわけではないので、こんなに安全な訓練はできませんでした。トリガーを使った訓練と、生身での訓練を並行して行っていたので、トリオン体を斬られたら生身で戦わされたりもしましたね。訓練中の事故で死亡する人も、そこそこいたんですよ」
「というか、トリガー技術の開発を、訓練の安全性に割り振る国がほとんどなかったです。そんな開発経費があれば、新しいトリオン兵を作ろう、みたいな国ばかりなので。それに仮想戦闘モードという発想自体、どこから出てきたのか不思議なくらいです。僕たちも、こんなところで強くなれたらよかったのに、って思います…」
「そうか。今まで大変だったな」
そして、和希と望実にとって何よりも驚くべきことは、10代の若者が人間を相手に斬ったり撃ったりの戦闘をしているのにも関わらず、心を病んでいないということ。
一時は不思議にも思ったが、ボーダーは若者を強制的に戦わせているのではなく、あくまで募集により自分の意思で戦わせるという方針を取っている。
「自分には合っていない」「人を斬るなんて無理だ」と感じた者は、いつでもボーダーを退職することができる。
人材が豊富だからこそ取れる募集という手段が、健全な戦闘訓練の場を作る一助にはなっているのだろう。
また、ボーダーには「師匠」や「チームメイト」など、健全な横のつながりがある。
それにより、メンター・メンティーの関係も自然と構築されているに違いない。
「本当に、うらやましい…」
羨望のまなざしでランク戦を見上げる和希と望実を、迅は何も言わずただ見ていた。
C級の試合をしばらく観戦した後、彼らはB級のランク戦ブースに移動した。
平日の夜という学生が比較的集まりやすい時間帯だからか、ランク戦ブースはとても賑わっていた。
「なんか、レベルが高いは高いんですけど、小南さんたちほどじゃなくて安心しました…」
「はっはっは。おまえらが戦ったことあるの、風間さんや小南だもんな。あの2人はボーダーでもトップのやつらだから、勝てなくて当然だよ」
そうしてランク戦を観ていると、見知った顔が横を通る。
「あれ、和希?なんでいるの?」
「あ?和希…と、迅さん?」
「あ、ゾエ、カゲ…」
和希のクラスメイトである北添と影浦に声をかけられ、和希は一瞬固まる。
(どうしよ。僕たちが近界民だということは言えないしな…、)
「和希、いつの間にボーダー入ったんだ?しかも、迅さんと一緒ってことは、玉狛か?」
「あ、うん…、色々あって、望実と一緒に玉狛支部から入隊することになったんだ。まだ仮入隊だけど」
「色々って…。あれだけボーダーに入るの嫌がってたのに」
(そうなんだよね…。どういう設定にしよう)
珍しく戸惑う兄の心情を読んで、望実は自分がなんとかしなきゃと奮い立つ。
「あ、あの、カゲさん!」
「あ?なんだよ望実」
「あの、玉狛の先輩から聞いたんですけど、カゲさんも、他人の心を読めるサイドエフェクトがあるんですよね」
「ああ、そうだが…。も、ってことは…」
「あの、僕もそうなんです」
(望実、ナイス!)
良い言い訳は、とっさに思いつくものではない。
当たり障りのない回答はすぐに用意できるが、もっとじっくり考えたいと思っていた。
だから今は、そこから話を逸らすことが最善策。
「そう、望実も、他人の心がわかるサイドエフェクトがあって。けっこう昔から苦労してるんだ。色々と教えてあげてよ」
「別に構わねぇけど…」
彼らの純粋な敬意と好意に戸惑う影浦を、カゲが教えるとかできるの~と北添が茶化す。
「それにしても、和希が入隊したってこと、王子は知ってるの?きっと泣いて喜ぶよ」
「はっ。そんで、今度は自分の隊に勧誘しだすだろうな」
「あはは…」
少しタジタジになりつつも、和希は持ち前の話術をフル活用して話を逸らす。
すると影浦と北添はどこかに用があるらしく、「じゃあもう行くからー」と声をかけて、その場を立ち去った。
和希と望実はホッと息を吐くと、ニコニコしながら見守っていた迅に声をかける。
「迅さん。もうランク戦は良いので、どこか人気のないところに連れて行ってくださいますか」
「ああ、いいよ。それにしても安心したよ。和希も、ちゃんとこっちに、友達いるんだな」
その言葉に頷いた和希は、年相応な、優しい笑みをそっと浮かべた。
「…はい。みんな、良い人ばかりなので」
林藤に車を出してもらい、彼らが玉狛に戻ると、メンバーがそろって夕食を食べていた。
「迅さん、おかえり~」
「ふぃーす」
迅がゆるっとした挨拶を返すなか、望実は目を輝かせていた。
「今日は小南さんのカレーなんだ!やった!」
「よーく感謝して食べなさい」
自慢げにカレーを振る舞う小南に、喜んで食べる望実や遊真たち。和希はかわいいなぁとクスリと笑ってしまう。
「遊真や三雲くんは、この後も訓練するの?」
「そうですね。いつも10時頃まで先輩方に付き合ってもらって…」
「そうそう。そろそろ小南先輩に勝ち越せそうな気がする」
「夜遅くまでがんばるねぇ。えらいなぁ」
そうして雑談に興じながら夕食をたいらげる。
そして、修と烏丸が修行をはじめようとしたタイミングで、和希が彼らに声をかける。
「烏丸くん。今日これからの時間、少しだけ三雲くんを借りてもいいかな」
「はい、いいっすけど…」
「……?」
和希の唐突な発言に、烏丸と修は怪訝な顔をする。
「烏丸くんは、今日は望実を見てあげて。三雲くんは、今日は僕から少しアドバイスをさせてほしい」
「アドバイス…?」
そう話す和希に修は戸惑うが、望実は目をキラキラさせて、見るからに興奮している。
「すごい!修くん、すごいことだよ!兄さんがコーチしてくれるなんて!」
「えっ…?」
望実の勢いに圧されて修も烏丸も冷や汗をかく。
「兄さんはコーチングが本当に上手いんだ。向こうの世界にいた頃も、同僚だけじゃなく、当時の上長までも、兄さんにアドバイスを求めていたんだよ。それまで全然勝てなかった人が、兄さんの指導を受けてから急に勝てるようになった伝説が噂になってね。とはいえ、兄さんは本当に気に入った人にしか教えてあげなかったんだけど」
「あはは。そんな大したことじゃないけどね。でも、ひとつ約束しようかな。三雲くんがC級ランク戦で勝てるようにしてあげる。少なくとも2週間以内には、B級に上がれると思うよ」
その言葉は、真実か虚勢か。
修は冷や汗をかきながら、お願いしますと真摯に頭を下げた。
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