漆黒の兄弟 25話 『迅悠一②』
黒トリガー争奪戦の翌日。すなわち、和希が父親と再会を果たした翌日のこと。
望実が修たちと戦闘訓練をしている間、和希は玉狛支部の部屋を借りて、紙にペンを走らせていた。
昨夜は一晩中考えた。どうすれば、身を守れるか。
(クロヴィの目的から考えれば、父さんたちが取りうる手段は限られる…)
父さんの話によると、クロヴィの目的は、ボーダー側に気付かれることなく、和希や望実を寝返らせること、もしくはフィロスとの連絡手段を確立すること。
でも、優先するのは僕たち2人のほうだ。捕虜の得られる情報なんて限られている。
ならば、僕たち2人を寝返らせるにはどうするのが最善か。
その答えは、どちらか一方の生殺与奪を握ることだろう。
そして、僕たちは2人で組んで戦えば強いが、連携する相手がいないと弱いことも父さんは知っている。
「まずは、望実を1人きりで行動させないことだな…」
たとえ同行する者が対抗する術のない民間人だろうとC級だろうと、手を出せなくなるに違いない。
なぜなら、和希と望実に諜報活動をさせたい以上、余計な疑いを生じさせるべきではないからだ。
例えば、和希や望実とクロヴィの部隊が接触している場面を、ボーダー隊員に見られてはいけない上に、たとえ民間人であっても、SNSが発達した今、その目撃情報が拡散されない保証がない。
たとえ口封じのためにその人物を始末したとしても、「行方不明者と接触していた人物」として疑われることだろう。
(…そう。だから、僕たちは1人きりで行動さえしなければ。たとえ1人でも、人通りの多い場所にいれば。安全なはずだ)
そう仮定すれば、父さんの取りうる選択肢も見えてくる。
1人にならざるをえない状況を作り出す?それとも、罠を張って誘い出すか?いくつか方法はあるけれど…。
最もおそろしいのは、和希がこう考えると読んで、あえて誰かと一緒にいるところを襲撃されることだ。
一緒にいる誰かを巻き込んでしまったり、最悪殺されてしまえば、僕たちはもうこの世界で暮らせない。
(やっぱり、父さんが相手だとうまく先を読めない…)
和希の頭脳は、父親からの遺伝だ。
作戦立案の基礎も父親から習ったし、和希が読みつくした戦術書も父親のものだった。
その上、戦闘の技術でも勝つことはできない。
でも、父親を上回らなければ、ここから先の平穏はない。
「今度の戦いで、必ず父さんを超えて見せる…!望実たちの夢の邪魔はさせない…!」
気合を入れて、改めて考えようとした時、部屋の扉がノックされた。
「和希、入るぞー」
「あ、迅さん…」
迅はのほほんとした表情で、ぼんち揚げを食べながら部屋に入ってきた。
和希が向かう机の上に大量のメモが置かれているのを見て、少し申し訳なさそうな顔になる。
「悪いな、取り込み中だったか」
「いえ。少し考え事をしていただけなので…」
一言断って、迅が話始めたのは、前日の夜に行われた、黒トリガー争奪戦のことだった。
「…そういうことで、上層部と交渉してさ。ちゃんと遊真の入隊を認めてもらったから。安心しろって言いに来たんだ」
「そうですか。それはよかった…」
そこで和希は、迅が常に身に着けていた、黒いトリガーが無いことに気付く。
「もしかして、その対価として…」
「あぁ。おれの黒トリガーを、本部に渡したよ」
正当な対価ではある。黒トリガーを持つ遊真を、玉狛支部に入隊させるのだから。
「遊真のために、なぜそこまで…?」
それでも、和希は尋ねずにはいられなかった。
遊真とは、つい数日前に出会ったばかりだろう。
『ラッド』の騒動を収めたり、クロヴィの部隊を差し出した和希と違い、遊真はほとんど何の対価も払っていない。
それなのに、どうしてそこまでしてくれるのか。
それが不思議でたまらなかった。
「おれはあいつらに、楽しい時間を生きてほしいんだ。そのために、実力派エリートが陰ながらかっこよく支援してるだけ」
きっと、この人も本心では、色々な葛藤があったのだろう。
黒トリガーは、その人物の遺品とも言っていい。
そのため、単なる武器としてではなく、もっと特別な意味と愛着を持って使用する人が多い。
迅さんも、きっと例外ではなかったはずなのに。
「このこと、遊真たちには内緒な。あいつら、気負っちゃうと思うから」
「ありがとう…、ございます」
和希は泣き出しそうな瞳で、か細くお礼を言うことしかできなかった。
「そういうことで、おれさっきまで城戸さんとこ行ってたんだが、クロヴィの部隊をどう扱うか、上層部も決めかねているらしい。だから、近いうち和希と望実に本部に来てもらって、近界民としての意見を聞きたいんだと。近い日程だと、いつ空いてる?」
「そうですか、クロヴィの部隊のことで…。明日でしたら、放課後いつでも行けますよ」
「じゃあ明日の17時からでいいか?望実にもそう伝えといてくれ」
「はい」
そう約束を取り付けて、迅は部屋を出ていった。
明日僕たちは、再びボーダー本部へ招集される。
そこではきっと、クロヴィ側の次の動きを予測するための会議が行われているのだろう。
そして、僕と望実は父さんとの接触によって、クロヴィが次どのように玄界を攻めてくるつもりなのか、ある程度把握できている。
ならば、僕はそれをボーダー上層部に話すべきか?
そして、僕たち2人がボーダーの一員として、ボーダー本部へ行くのは初めてだ。
前回行った時は、まだ部外者だった。そのため、行ける場所も、得られる情報も、限られていた。
しかし、今の僕たちは、ボーダー隊員としての立場がある。
その立場を使ってどこへ行き、どのような情報を集めるべきか。
何が最善か。脳内でシミュレーションをしながら、和希は再びペンを走らせる。
それは、訓練が終わった望実が帰ろうと呼びに来るまで、ずっと続けられていた。
翌日の夕方5時、和希と望実は迅に連れられて、ボーダー上層部が揃う会議室を訪れていた。
「お疲れ様です。和希と望実を連れてきました!」
「ご苦労。迅」
迅の軽い挨拶に合わせて、和希と望実は会釈をする。
そこには、城戸司令、忍田本部長、林藤支部長ら首脳陣と、風間隊など一部のA級隊員が集められていた。
「和希くん、望実くん、先日はクロヴィ部隊の掃討作戦に協力してくれてありがとう。三門市の脅威を退けてくれて、心から感謝する。そして、ボーダーへの入隊もおめでとう。まだ仮入隊だが、ボーダー本部としても、約束通り君たちを歓迎する。君たちがボーダーの規則に従う限り、危害を加えないと約束しよう」
「ありがとうございます、忍田さん」
まず真っ先に彼らにかけられたのは、忍田本部長の感謝と歓迎の言葉だった。
ボーダー上層部全員の前で、はっきりと言質を取った以上、本当に僕たちに危害を加える気はないのだろう。
クロヴィの兵士として渡り歩いた国の中には、外部の人間を利用するだけ利用して、平気で約束を反故にする人間も存在した。
利用された人間は、最終的には口封じのため処分されることが多いため、命からがら逃げだしたこともある。
しかし、ボーダーの組織は、少なくともそのような腐った体制では動いていないのだろう。
ひとまず安心だな、と和希は息を吐く。
「時間だ。会議を始めよう。今日の議題は、クロヴィ諜報部隊への対応についてだ」
城戸司令が号令をかけると、会議室内の空気が引き締まる。
「12月11日の夜、和希くんと望実くん、そして玉狛支部の隊員たちの尽力で、クロヴィから来た諜報員たちを捕らえることができた。本国との通信機なども含めてすぐにボーダー本部に送られ、翌日10時頃にクロヴィとの通信および交渉を試みたが、クロヴィは交渉に応じる姿勢を見せなかった。その後も何度か通信を試みてはいるが、応じないまま現在に至っている」
忍田が現状を改めて説明をすると、和希と望実に目を向ける。
「我々としては、この状況はクロヴィからの宣戦布告と取っている。交渉によらず、捕虜と黒トリガーを取り戻すということであると。そのため、今後考えられるクロヴィの攻撃への対策と、捕虜の扱いについて、君たちの意見を聞きたい」
「…わかりました。まず、何を知りたいですか」
「まず聞きたいのは、今後のクロヴィの動向についてだ。和希くんと望実くんは、今後クロヴィがこちらの世界に対してどのような攻撃をしてくると考えている?」
(僕たちは一昨日、クロヴィから新たに派遣されたであろう、父さんと接触した。そこで、僕たちやフィロスさん達をスパイとして、ボーダーを探る方針であることを知らされた)
ならば、僕はこの情報を、正直に話すべきだろうか。否。
「今回のクロヴィの対応については、僕たちも完全に想定外でした。この状況で、交渉に応じないということは、忍田本部長が仰った通り、何かしらの攻撃により取り戻すという意思表示の可能性もありますし、本国に何らかの問題があり、僕たちやフィロスさん達は諦められたという可能性もあるかと思います。ただ、僕たちは2年前に国を脱走して、それ以来国内外の情報は全く得られていない状況なので、どうしても判断がつきません。お力になれなくて、申し訳ありません」
本当は僕たちは、次のクロヴィの行動を誰よりも明確に知っている。父さんから直接聞いたうえに、僕たち自身がその作戦の実行者と設定されているのだから。
しかし、ここでそれを言うべきではないのだ。
それは、今後自分たちがボーダーと敵対してしまった場合のリスクを、少しでも減らしておくためだ。
父さんがこちらに来ている以上、僕たちの起こす行動は全て見透かされていると想定するくらいが丁度いい。
もしも、父さんの計画が全てうまくいってしまい、僕と望実が再びクロヴィの命令を聞くしかない状況になってしまった時。
クロヴィからの命令は、ボーダーの情報を手に入れること。その任務をこなせなければ、命はない。
ならば、その諜報活動を困難にする発言を、今すべきではない。
和希も望実も、再びクロヴィの駒になどなる気はないが、それでも互いを守り切れない可能性もある。
ならば、そんな最悪の事態も想定に入れて動くべきだろう。
「そうか…。こちらこそ、君たちに無茶な質問をして悪かった」
「とんでもないです。ちなみに、そういうことは迅さんのサイドエフェクトで視ることはできないんですか?」
ちらと迅を見ると、彼は首を振る。
「う~ん。おまえら2人のことや、フィロスたち3人のことを視ても、奪還されたり危害を加えられたりって未来は視えないんだよね。少なくとも、1月中旬までは大丈夫だと思う」
「1月中旬?その頃、何かあるんですか…?」
「1月の終わり頃、大規模侵攻がある。まだ先のことだし、未来がいくつも分岐してるから分からないけど、和希と望実が顔見知りらしい男と戦っている場面は見える。でも、クロヴィなのか他の国なのかはわからない」
僕たちが、顔見知りの男と戦う…?
父さんのことだろうか。それとも、別の何かが僕たちを襲うのか。
…どちらでもいい。望むところだ。
次の大規模侵攻で、父さんとの決着をつけ、必ず望実と共に生き残ってやる。
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