2話 『織本望実』
12月のある日の午前中、織本兄弟は三門市のショッピングモールにて買い物をしていた。
「本当にすごい。冬なのにショッピングモール内はこんなにも暖かい。昼間にも関わらず目一杯明かりを付けるほどにありあまるエネルギー。食料も服もこんなに豊富にあるなんて。トリオンを使わなくてもこんなにも贅沢ができるなんて、本当に玄界の技術は発達していますよね」
「そうだね。向こうの世界では想像すらしていなかった。こんなにも豊かな世界があるなんてね」
近界から来た2人の少年たちは、ショッピングモールに並ぶ商品を前に、とても興奮していた。
「玄界では、お金と品物を交換するんだね。このお金というシステムも、信頼あってこそのものだ。さて、望実。今日の夕食は何にしようね。お金には余裕があるから、たまには贅沢をしても良い」
兄弟が自身の死を偽装して本国から逃げてきた時、遠征艇から多額の金銭を持ち出してきていた。また、本国が偵察任務用に作った偽の戸籍などもそのまま持ち出してきており、兄弟2人しかいなくても、無事に学校に通って、普通の生活を維持していけるのは、そうした和希の機転があったからこそである。
また、和希は学業にも余裕があるので、土日はアルバイトをしてお金を稼いでいる。織本兄弟が経済的に困窮する可能性はゼロに近いだろう。
「では、2人で温かい鍋を囲みませんか」
「いいね、それなら、肉と白菜とーー、」
「望実、お疲れ。買い物か?」
「烏丸!」
望実に声をかけたのは、高校のクラスメイトである烏丸京介だった。
「烏丸くん、こんにちは」
「和希さんも。2人で買い物すか。いつ見ても仲良いすね」
望実と烏丸は同じクラスで、気心の知れた友人である。
クラスメイトやボーダー隊員の多くが「近界民は敵だ」という印象を持っているなか、烏丸からはあまりそのような波長を感じないのだという。
それとなく話を聞いてみたところ、烏丸は「近界民に対して個人的に恨みはないから」と話したそうだ。
そのことも、内気な望実が心を開いている要因であるのだろう。
「烏丸も買い物?今日はバイトやボーダーの仕事はないのか?」
「今日は夕方から任務だから、今のうちにやることを済ませておこうと思ってな」
和やかな雰囲気で談笑する2人を見て、和希は2人は本当に仲が良いのだと感心する。
それならば、この話を切り出しても良いのかもしれない。
ボーダー隊員から情報を引き出すべく、和希は動いた。
「烏丸くん、クラスメイトから聞いたんだけど、ここ数日、警戒区域の外で門が開いているって噂、本当なのかな?」
「それは…!」
和希の鋭い質問に、烏丸は口ごもる。
どのように答えるのが正解かと考えている様子の烏丸に、和希は困ったように笑いながら、優しく声をかけた。
「ごめんね、責めようという気持ちはないんだよ。ただ、その噂が本当なのかと気になっただけ。いざという時に、情報不足で逃げ遅れるのは嫌だからね」
「…そうっすよね。実はその話は本当で、昨日から3件、そのような事例が報告されるんす。これまでは幸い非番のボーダー隊員が現場近くにいたので、大事にはならなかったんすけど」
「そうなんだ。それに対してボーダーは、何かしらの対策をしているのかな?」
「すみません、おれにはそこまでの情報が回ってこなくて。和希さんたちも、どうか気を付けてください」
「うん。教えてくれてありがとう」
烏丸から答えを引き出した和希は、脳内で情報を整理する。
しばらく他愛もない話をした後、2人は烏丸と別れて、買い物を続けた。
帰り道、望実は和希の真意を捉えきれずにいた。
「兄さん、さっき烏丸に聞いてたこと…」
「あぁ、ごめんね望実。友達に困らせるようなことを聞いてしまって、不快にさせてしまったかな」
すぐに謝られて、望実は恐縮しながら否定する。
「そんなことは。ただ、気になっただけで。警戒区域外に開く門について、兄さんはどのようにお考えですか」
「…そうだね。原因を把握しかねていたのだけど、さっきの話ではっきりしたよ。あれは、敵性近界民による新しい攻撃だ」
「…!」
きっぱりと断言する和希に、望実は舌を巻く。
兄の頭の回転の速さは知っていたが、さっきの少ない情報から、そこまで断言できるものなのか。
和希はそのように判断するに至った経緯を望実にわかりやすく説明する。
「通常であれば、市街地に門が開くことはない。なぜなら、ボーダーの誘導装置が門の開く場所を警戒区域内に限定しているからだ。そのはずなのに、昨日から3件も市街地に門が開く現象が起こっている」
原因として考えられるのは2つ。
1つはボーダーの誘導装置の故障だ。
しかし、もしそうならばボーダーが原因を突き止めるまでそこまで時間がかからないはずだし、正隊員への情報共有も迅速に行われるだろう。
そうでないならば、ボーダーも原因を掴みかねているということ。つまり、原因はボーダー側にはないということだ。
残る可能性は、1つしかない。
敵性近界民が、ボーダーの誘導装置を掻い潜る方法を編み出し、市街地にトリオン兵を放っているのだ。
「おそらく、祖国クロヴィの仕業でもないだろう。隠密に徹している彼らが、自分たちの存在を喧伝するかのように門を開くとは考えにくい。ボーダーに対策を取られてしまうから、誘導装置を無効化する方法を開発したとしても、門を開くのは準備が整ってからだ。こんなふうに単発的に門を開くのは合理的ではない」
以上の推理を淀みなく話した和希を見て、望実は深く納得し、同時に兄である和希を改めて尊敬した。
「兄さん、すごいです。確かに、これは敵性近界民による新しい攻撃で間違いないように思います。本当に、兄さんは頭が良い。それに比べて僕は、どうしてもそこまで考えが至らないし、勉強も苦手で…。兄さんの弟なのに、情けないです」
申し訳なさそうに俯く望実に、和希は優しく笑いかける。
「望実。苦手なものがあるのは、悪いことではないよ。みんなに得意と不得意がある。だからこそ、人は助け合うんだ。それを、個性というんだよ」
「兄さん…」
「それに、望実はたとえ勉強が苦手でも、僕が敵わないほどの大きな才能を持っているじゃないか」
和希が言っているのは、望実のトリガーを使った戦闘能力と、そのサイドエフェクトのことだ。
望実はトリオン量が豊富で、クロヴィの軍事学校時代も常に戦闘訓練でトップの成績を取っていた。
銃を使ったスタイルで、正確無比な射撃とトリオン量を活かした圧倒的な火力で、相手を蜂の巣にしていた姿が思い起こされる。
また、望実は希少なサイドエフェクトも持っており、それが軍でも重宝されていた。玄界への偵察部隊に選ばれたのも、それが評価されてのところが大きい。
兄から温かく褒められた望実は、それまで沈んでいた気持ちも浮上し、嬉しそうに頬を染めた。
そうして他愛もない話をしながら、兄弟が仲睦まじく歩いていた、その時ーー、
市街地であるにも関わらず、突然警報が鳴った。
『緊急警報!緊急警報!門が市街地に発生します。市民の皆様は直ちに避難してください』
2人のすぐ近くに門が開き、バムスター1体とモールモッド2体が現れる。
「これは、イレギュラー門!?」
「民間人が襲われてる!助けないと…、兄さん、どうしますか?」
その時、和希はこの状況について素早く考えを巡らせていた。
この門はなぜ、何のために開かれたのか。
まず、祖国であるクロヴィが、国を裏切った兄弟を抹殺しようと門を開いた可能性が思い浮かんだが、和希はすぐさまそれを否定した。
イレギュラー門の原因がクロヴィである可能性は低いうえに、バムスター1体とモールモッド2体しか送られてこないのは不自然だ。
その程度のトリオン兵に2人が負けることがないのは明らかなのだから。
であれば、もう一択である。
たまたま開かれた門の近くに2人がいたというだけのことだ。
これが1番自然だろうと和希は結論付けた。ならば、これからどう動くべきか。
地理的な状況、敵の数、あらゆる要素を考慮して、最善を導き出せ。
「望実、まずは物陰に隠れるぞ。30秒経ってもボーダーが駆け付けない場合は、僕らが処理する」
「わかりました、兄さん!」
兄弟は、出現したトリオン兵の動きを観察しつつ、建物の陰へと走る。
「望実。まずこの30秒で、非番のボーダー隊員が近くにいないかを確かめるんだ。いないのならば、僕らが処理するしかない。ボーダー本部からここまでおよそ5分。絶対にそれまでに片付けるんだ」
和希は素早く状況を説明する。
かつてないほど焦りと警戒をあらわにする和希に、望実も気を引き締め、サイドエフェクトを使って周りの人間を調べていく。
「兄さん、少なくとも目視できる範囲で、ボーダー隊員らしき人物はいません」
「わかった。ならば僕らが戦おう。ボーダー隊員に見つかったらアウト。クロヴィの偵察兵や民間人に、絶対に顔を見られてもいけないよ。可能なら太刀筋や戦い方も見られたくないくらいだ。さあ、行こう!」
「トリガー起動!」
兄弟はトリオン体に換装し、フードを深く被ってトリオン兵に向かい走っていく。
モールモッドが市民を手にかけようとした時、望実がその刃に素早く弾丸を撃ち込み、それらの注意を引きつける。
「よくやった。そのまま引きつけろ!」
そしてバムスターには和希が斬りこんでいく。
望実は正確な射撃でモールモッド2体を引きつけつつ、バムスターにも弾丸を放ってその動きを止める。
「兄さん、今です!」
そして、弾丸により動きが止まった瞬間を逃さずに、和希が核である目を剣で切り裂いた。
「まずは1体!」
モールモッド2体は、望実の弾丸により注意を引かれている。
モールモッドの刃と、和希の剣が何度か交わり、何度目かのぶつかり合いの際に、モールモッドの刃が斬り飛ばされる。
そしてその隙を逃さず、望実の銃弾がモールモッドの核を撃ち抜いた。
そして、最後の1体であるモールモッドに2人が照準を定めた、その時。
モールモッドの死角に突如現れた何者かが、音を立てることなくモールモッドの核に刃を突き立てる。
それは、ボーダーの精鋭中の精鋭。A級3位の風間隊だった。
「風間隊、現着した。トリオン兵は全て排除。人型近界民を2人発見した。処理を開始する」
「こいつら、トリオン兵と戦っていたようですが…、どうしますか風間さん」
「どんなやつだろうと、近界民を見つけたら倒すにきまってるでしょ、歌川」
「お前たち、まずはこいつらを倒す。素性や目的はその後だ」
「了解!」
風間、歌川、菊地原は、風間の指示を合図にスコーピオンを構え、臨戦態勢となった。
一方和希は、苦虫を噛み潰したような表情で次の手を考える。
「くそ、読み違えたか…!」
機動力に優れた風間隊は、緊急時ということもあり、和希の想定を超える速さで現場に駆け付けたのだ。
想定外の速さ、直前まで気づくことができなかったほどの隠密能力、一瞬でモールモッドの核を切り裂く戦闘能力。
目の前に現れた強者に、和希は冷や汗を流す。
風間隊の3人は、黒い戦闘服に包まれる兄弟を油断なく見据えていた。
そして、A級3位部隊『風間隊』と、近界民の兄弟との、命懸けの戦いが始まる。
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