13話 『織本和希③』
冷たい水を頭にかけられ、和希は目を覚ます。
真っ白な広い部屋に、和希は横たわっていた。
「起きたか、和希」
広い部屋に響くのは、かつての仲間であり、今は敵となってしまった者の声。
フィロス、ピレティス、カトテラスが、立って和希を見下ろしていた。
痛む体に鞭を打ち、和希が体を起こすと、リーダーであるフィロスが声をかける。
「なぁ、和希。本当にクロヴィに戻ってくるつもりは無いのか?そうでなければ私は、どんな手を使ってもボーダーの情報を吐かせなければならない。かつての仲間に手荒なことは、したくないんだよ」
「和希…」
「和希さん…」
和希を見下ろす彼らの顔はどこか暗く、この状況を嘆いているように見えた。
一方和希はその質問には答えず、この状況を素早く分析する。
広い部屋に、ほとんど家具がない。
おそらくトリオンで作られた部屋。
窓がなく、独特な音の響き方。
(間違いない。ここはクロヴィの拠点の、地下室だ)
そして、目の前にはクロヴィの戦闘員が3人。
以前兄弟を襲撃した時に、戦力を出し惜しみする理由も無かった以上、三門市に来ている戦闘員はこの3人のみであることも間違いない。
そして、3人ともこの部屋に来ているということはーー、
(よかった。望実はまだ、捕まっていない)
少なくとも、危害を加えられるような状況にはないはずだ。
そう判断した和希は、ほっと息を吐く。
だが、今和希は敵の目の前で動けずにいる。
気を抜くことができる状況ではないのだ。
「和希…!」
怒りを顕にしたフィロスが、和希の鳩尾に蹴りを入れる。
「か…はっ」
痛みに悶えてうずくまる和希の髪を掴み、無理やりフィロスと目を合わさせる。
「和希。気ィ抜いてんじゃないよ。こっちの質問に答えろ」
苦悶の表情を浮かべる和希に、フィロスは2択を迫る。
「こっちに戻ってくる気があるのかないのか。それを聞いている」
そんなフィロスに、和希は弱弱しく、しかしきっぱりと答えを返す。
「僕は…、クロヴィに戻るつもりは、ありません。それに、ボーダーを裏切る気も、ない」
その言葉にフィロスは青筋を立て、和希の顔を殴り飛ばした。
体を強く床に打ち付けられた和希は、声にならない呻きを上げる。
「和希。あんたの弱点は知ってる。あんたがしゃべらなければ、あんたの大事な弟を殺すよ。今隣の部屋に捕らえている」
「それは、嘘ですね。あなたたちはまだ望実を捕らえられていない」
「…どうしてそんなことが言える」
「僕が置かれたこの状況から考えれば、明らかです」
フィロスは、こんな状況でも物怖じせずに話す和希の胆力と、一瞬でこちらの嘘を見抜いた観察眼と頭脳に、密かに感嘆していた。
ますます、ここで殺すには惜しい駒だ。
「…和希、お前ほどの人材が、どうして国を裏切った?こんなにも優秀で、本国に忠誠を誓っていたお前たちが、どうして逃亡なんてしたっていうんだ?」
和希はその質問に、迷わず答える。
「僕達には、あの国は窮屈で不自由過ぎた。親や王に進路を決められ、幼い頃から戦わされる。誰もが自分のことしか考えず、全てを王が決める世界だ」
そんな世界で、僕や望実が幸せになれるはずがない。
「誰もが平等に、将来を選ぶ権利を持っている。幸せになる権利を持っている。富や名声よりも大切なものがある。それなのにーー、」
そのはずなのに。それが許されない世界。
「僕にはそれが、どうしようもなく不自由に感じたんです」
和希は、まっすぐな瞳でフィロスを見つめた。
「あなたこそ、そんな不自由な世界から解放されたいと思わないのですか」
和希は、ピレティスとカトテラスのこともじっと見据える。
「ピレティスも、カトテラスも、王の命令のままに戦わされて、命を懸けさせられて、悔しくないのか!」
「……」
「和希さん…!」
ピレティスは無言で、カトテラスは一言名前を呼ぶだけだ。
しかし、和希には。
何かが、伝わったような気がしていた。
しかし、靴音を立て、和希に近づく影が1人。
フィロスは失望したように息を吐き、剣を取り出して和希の右肩を斬り裂いた。
「…っ!」
「そんな甘ったれたことを言うなんて、あきれたよ。私の見込み違いだったようだ」
痛みに震える和希に、フィロスは冷たく言葉を吐き捨てる。
「いいか和希。私たちは王に仕えるために生まれたんだ。だから、そのように生きるのは当然なんだよ」
倒れこんだ和希が次に感じたのは、足の気持ち悪い感覚と強い痛み。
声にならない呻き声が、自分の口から漏れ出ているのを感じる。
足を、折られた。
あまりの痛みに流れ出た涙で視界がぼやける。
歯を食いしばって耐えるが、もう限界が近いかもしれない、と冷静に考える。
「このくらいなら、まだ致命傷には至らないだろう。密偵としての性質上、拷問に耐える訓練も受けていたはずだ。…だが、永遠に耐えられる人間など存在しない」
和希の瞳が、恐怖に揺れる。
「もう情はかけないよ。そんな思想を持つ反乱分子は、生かしておくわけにはいかない。さあ、ボーダーの情報を吐くまで、続けようか!」
短剣を構えるフィロスに、和希は更なる激痛を覚悟して歯を食いしばる。
ドン!
その時、上階から銃撃音がする。
フィロス・ピレティス・カトテラスは上に警戒を向け、和希は静かに微笑んだ。
「やっと…、来てくれたか。計画通りだ」
斧で天井が斬り裂かれ、瓦礫と1人の人影が降ってくる。
「何!?どうしてここが…!」
「和希を離すな!このまま人質に…!」
フィロスの指示で、カトテラスが和希に駆け寄ろうとした時ーー、
「させないよ。『風刃』」
緑色の光る斬撃が、床を伝って彼らの腕を斬り裂いた。
「…!!」
そして、和希を守るように、間に降り立つ1人の影。
「望実…!」
「兄さん、助けに来ました」
「よかった。うまくいったんだね」
望実に続いて、玉狛支部の精鋭たちも和希のもとに走り寄る。
黒トリガー『風刃』を扱う、実力派エリート迅悠一。
ボーダー唯一の完璧万能手であり、玉狛第一の隊長、木崎レイジ。
弧月とガイストを使いこなす、烏丸京介。
そして、攻撃手ランク3位、玉狛第一のエース、小南桐江。
「和希!!重症じゃない、大丈夫なの!?」
「えぇ、大丈夫。死にはしませんよ」
重症の和希に動揺を示す小南と烏丸をよそに、木崎と迅は冷静に指示を出す。
「望実、はやく和希を病院に連れていけ。ここはおれたちだけで足りる」
「そうそう。さすがにここまでお膳立てしてもらって、玉狛の実力派部隊が負けるわけにはいかないでしょ!」
その様子を見ていたフィロス、ピレティス、カトテラスは、突然の襲撃に大きくうろたえる。
「お前たちは、ボーダーの…!でも、発信機も尾行も絶対に無かったはずだ!一体どうやって…!?」
「兄さんが細工したからに決まっているではありませんか。フィロス隊長、ピレティスさん、カトテラス」
望実は不敵な笑みを浮かべ、自信満々に言い切った。
「全ては兄さんの計画通り。あなたたちは兄さんの掌の上で踊っていただけさ」
和希も勝利を確信して、静かに笑っていた。
コメント