10話 『空閑遊真②』
玉狛支部に到着した時、時刻は夜10時をまわっていた。
一行を支部長の林道が迎え入れる。
「お疲れさん。派手にやられたな。とりあえず医務室に連れて行こう」
迅と木崎の陰に隠れて、もう一人の小柄な白い少年が付いてきていた。
「ん?お前は…?」
「おれは空閑遊真。和希と望実の友達だよ」
「空閑…!?…そうか、まあ入れ。手当が終わったら、ゆっくり話そう」
迅とレイジは、和希と望実を医務室のベッドに座らせ、傷の状態を確認する。
「これは…、ひどいな」
ザックリと斬られた和希の肩と腕を見て、林藤はそう呟いた。
「望実もひどくやられてる。すぐ手当するから、じっとしてて」
望実の頭部からの出血を抑えながら、迅は包帯を取り出しテキパキと手当をする。
そうして手当が一段落すると、林藤が和希に問いかけた。
「まず、和希。何があったのか、ゆっくりでいいから、話してくれるか」
「…はい」
和希はポツリポツリと話し始める。
人気のない路地裏にいたら、クロヴィの部隊3人に突然襲われたこと。
彼らの連撃を途中まではしのいでいたものの、黒トリガーを使われて、戦闘不能にされてしまったこと。
やられると思った時、遊真が助けに入ってくれたこと。
「彼の名前は空閑遊真。向こうの世界から来た、僕らの友人です」
「どうも」
キラリと星を出して挨拶をする遊真に、林藤はある人の面影を見る。
「…お前の名前、もしかして有吾さんの親族か?」
「うん。それは親父の名前だ。リンドウ支部長は親父と知り合いなのか?」
「あぁ、有吾さんは、ボーダー創設初期のメンバーで、おれも色々と助けてもらったんだ。有吾さんは、今どこに?」
「親父は死んだよ。『おれが死んだら日本に行け』って親父が言ってたから、こっちに来たんだ」
「……!!」
和希と望実は、その言葉に衝撃を受ける。
遊真が1人で日本にいることから、薄々察してはいた。
しかし、そうかもしれないと感じるのと、実際に事実を言い渡されるのとは、また別である。
共に過ごした時間は僅か1ヶ月だったけれど。
和希と望実にとって、有吾と遊真は数少ない、心を許した友であった。
それと同時に、今の自分たちがあるのは、ひとえに有吾のおかげでもある。
だって、戦争から逃げ出して、平和な国で暮らしたいと願った兄弟に、この日本という国を教えてくれたのは、まぎれもなく有吾なのだから。
だから、もし再び会うことができれば、お礼を言いたかったのに。
和希は静かにショックを受け、望実は一粒の涙を落とした。
そんななか、遊真が不思議そうに質問をする。
「というか、おれも和希も望実も近界民なんだけどいいの?おれのクラスメイトのボーダーのやつは、近界民っていうのは隠せって言ってたし、こっちだと近界民は肩身が狭いなーと思ってたとこだったんだけど」
それに答えたのは、和希だった。
「遊真、ここの人たちは大丈夫だよ。ただ、ボーダーの中にも派閥があって、僕たちのことを許さない人たちもいる」
「ふむ。まぁ、和希がここにいるんだから、少なくともここは大丈夫ってことだな」
納得したように話す遊真に、和希は自分に寄せられる確かな信頼を感じて照れくさくなる。
そんななか林藤は、和希に計画のズレについて尋ねる。
「お前達、どうしてそこまでやられた?お前の作戦だと、迅とレイジが駆け付けるまでは持ちこたえられる計算じゃなかったか」
「黒トリガーを遠征に投入しているのが、想定外でした。普通であれば、長期の遠征に黒トリガーを持ち込むなんて、ありえない」
その疑問に答えたのは遊真だった。
「クロヴィはここ1年くらい、特に玄界遠征に力を入れ始めたって噂があったな。なんでも、玄界のトリガー技術が急速に進歩しているから、その情報がほしいんだと」
「なるほどね。僕たちのいた国クロヴィは、珍しいものがあると、すぐ取り入れたがるから。とにかく、遊真が助けてくれなかったら、本当に危ないところだった。僕達の命を救ってくれて、ありがとう」
和希は遊真に向き直り、心から感謝を告げる。
和希は一呼吸置いてから、林道に目を合わせて、確認をするように話す。
「想定外はありましたが、きちんと種は蒔けました。計画を次の段階に進めたい。明日、お願いできますか」
「おいおい…、その怪我で、焦りすぎじゃないか?少し休んでからでも…」
「ここからは、スピード勝負になります。なるべく早い方がいい。それに、この計画が成功すれば、僕たちはこの街で平和に暮らすことができると思えば、無茶くらいしますよ」
和希は真摯に林藤の瞳を見て、懇願する。
「僕たちの味方に、なってくださいますか」
「もちろんだ。ウチとしても、三門市に敵意のないやつらとは、なるべく協力関係を築いていきたいと思っている。ましてや、『ラッド』のことを教えてくれた恩もある。玉狛支部としては、お前たちを保護するつもりだ」
林藤はきっぱりと答え、タブレットを確認する。
「明日の午後イチだ。ボーダーの首脳陣に、会わせてやるよ」
「ありがとうございます!」
明日、勝負をかける。
ボーダーからも、クロヴィからも追われない、平和な未来へ。
和希は決意を新たにした。
話も終わり、医務室には和希と望実だけが残される。
すると、それまでずっと黙っていた望実が、泣きながら、震えながら、和希の手を握った。
その様子に覚えのあった和希は、望実の手を優しく握り返し、隣に座って背中をさすってやる。
和希は想定外の状況に相当参っており、計画の修正で精一杯になってしまっていた。
どうして、これからのことばかり考えて、今の望実に意識を向けてあげられなかったんだろうと、和希は深く後悔する。
望実は、稀有なサイドエフェクト『エンパス』を持っている。
相手の感情を読み取ることができるというと便利なように聞こえるが、そこには大きな副作用がある。
望実は相手の感情に共感・同調することで、相手の感情を読み取っている。
それはつまり、相手の感情を自分のものにするということだ。
マイナスの感情が伝播して自分のものになってしまったり、周囲の人が激しい感情を持っていれば、自然に同調してしまって、何が本当の自分の感情なのかが分からなくなってしまうこともしばしばある。
今日は、クロヴィの部隊に襲撃されて、本気の殺意を向けられた。
彼らの殺意に同調して、気が立ってしまっている自分。そんな感情に怯えて、泣き叫びたい自分。
最愛の兄を守りたいと思う気持ち。有吾の訃報に悲しむ気持ち。
様々な感情が乱立して、望実は混乱に陥ってしまっていた。
今はまだ落ち着いた方だが、幼少期は特にそれがひどかった。
そんな時、望実は和希に助けを求め、和希の感情を読み取ろうとする。
和希が望実に対して抱く感情は、至極まっすぐな愛だけだからだ。
「望実、ごめんね。大変な思いをしているのに、気が付かなくて…」
今日も、和希は望実に起こっている状況を理解し、慈しむような瞳で見つめて、温かい愛を惜しみなく注いでくれる。
今日起こったことによる負傷も負担も、望実とは比べ物にならないはずなのに。
そんな和希の心情に深く共感すれば、不安に包まれていた望実の気持ちも落ち着いてくる。
次第に望実も泣きやみ、震えも感情の高ぶりも収まってきていた。
「望実、落ち着いてきたかな。大丈夫?」
「…兄さん、いつも、本当にありがとうございます」
ようやく落ち着いて兄を見ると、右腕に痛々しく包帯が巻かれているのが目に入った。
「兄さんのお怪我は…、大丈夫ですか」
心配になって兄にそう尋ねると、「望実の様子が落ち着いてきて安心した」という感情と、「心配してくれて嬉しい」というくすぐったい感情が、兄から流れ込んできた。
「林藤さん達がきちんと手当してくださったし、痛み止めも飲んだから、もうほとんど痛まないよ。心配してくれてありがとう」
互いに安心した彼らは、しばらく握っていた手を離して、それぞれのベッドで休む。
その手には、互いのぬくもりがまだ残っていた。
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